おやぢの部屋2
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MAHLER/Symphonie No.2

Christine Schäfer(Sop)
Michelle DeYoung(MS)
Pierre Boulez/
Wiener Singverein, Wiener Philharmoniker
DG/00289 477 6004
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1292(国内盤)


ブーレーズとウィーン・フィルが共演した衝撃的な映像を見たのは、一体何年前になるのでしょう。その時の曲目はバルトークの「マンダリン」、あまりこういう曲には馴染みのないオーケストラのメンバーが、ブーレーズの指揮に必死になって食らいついているという感じがヒシヒシと伝わってくる、まさに指揮者とオケとの「対決」といった様相を呈していたスリリングなものでした。おっとりした馬に、がむしゃらに鞭を当てている騎手、といった趣でしたね。
そんなブーレーズも、いつの間にか齢80を超えてしまい、紛れもない老境へと入ってきていました。このジャケットの写真を見ると、そんな感慨がとみに湧いてくることを抑えるわけにはいきません。かつてのあの鋭い眼光は一体どこへ行ってしまったのか、そのうつろな瞳の中には、もはや他人を威圧するような輝きはありません。その様な印象が、今回演奏されているマーラーの2番でもしっかり「音」となって感じることが出来てしまうのですから、人間、外見ほど重要なものはありません(外見といえば、昔の写真を見ると彼は禿頭を隠そうとしていませんでした。しかし、いつの頃からか頭頂はたわわな髪に覆われるようになっており、それが今では見事な白髪に、一体何があったというのでしょう)。
第1楽章の冒頭を飾り、その後も何度となく繰りかえされる嵐のようなモティーフの、なんと「ドラマティック」なことでしょう。しかし、それはうわべだけのよそよそしいもの、その中には真の「激しさ」が決定的に欠けていることを感じることは出来ないでしょうか。そこには、自らの意志でオーケストラを鼓舞している姿は全く見られません。そのあとに続く対照的に穏やかな部分が、何ともソフトでメロウなのも、ただウィーン・フィルのいつもの歌い方をなすがままにさらけ出しているというだけのこと、それは、なんのテンションも感じられない、ただ美しいだけの弱々しいものでしかないのです。このセッションでの乗り番のソロフルートはシュルツ、もはやかつての輝きを失ったその暗めの音程は、そんな演奏を象徴しているかのように聞こえます。
「原光」でデヤングが歌い始めると、そんな慎ましやかな風景が一転して華やかなものに変わります。湯気を上げるヤキソバのよう(それは「ペヤング」)。この場ではもう少し抑制して欲しいと思わずにはいられないその奔放な(というより、音程の定まらない)メゾソプラノの毒気にあてられたように、心細げに寄り添うオーケストラの情けなさったら。
しかし、ソプラノ(シェーファーは、逆におとなし過ぎ)や合唱が参加し、様々な場面が交錯する最後の楽章になると、この老人は天性のバランス感覚を駆使して、かなり雄弁なドラマを作り上げてくれました。バンダの金管との絶妙のからみなど、見事としかいいようがありませんし、特に後半の合唱が加わってからの集中力には感嘆せずにはいられません。もちろん、信じがたいほどのピュアな響きを提供してそれをなし得た合唱の力量も称賛に値します。「熱狂」とか「迫力」といった言葉とはついぞ無縁のままエンディングを迎えても、青白い醒めた高揚感が心に残るという、希有な体験を味わわせてくれたブーレーズ、やはりただの老人ではありません。
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by jurassic_oyaji | 2006-05-12 20:41 | オーケストラ | Comments(0)