おやぢの部屋2
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MOZART/Symphonies Nos. 40 & 41



Marc Minkowski/
Les Musiciens du Louvre
ARCHIV/00289 477 5798
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCA-1064(国内盤 7/26発売予定)


最新の「ジュピター」のCDは、昨年の10月にグルノーブルで行われたライブ録音、ミンコフスキのオーケストラ、「ルーヴル音楽隊」の配置に、まず目を引かれます。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが向かい合うという、いわゆる「両翼」配置は、もはやこの時代の音楽では常識ですが、その間を埋めるはずのヴィオラとチェロが後ろに下がり、その代わりに木管陣が最前列に出ているという非常にユニークな形を取っています。コントラバスはさらにその後ろの中央、つまり、木管楽器は左右と後ろを弦楽器にすっぽり囲まれるということになります。これは音響的にも、そして、実際に演奏する時のアンサンブル的にも、非常にメリットの多い配置のはずです。そのせいでしょうか、木管奏者たちは実に伸び伸びと演奏している感じが良く伝わってきます。お互いのパートをすぐそばで聴き合って生み出された自発的なアンサンブル、それを指揮者のミンコフスキがすくい上げて、仕上げに塩を一振り、そんな理想的な音楽の作り方が、ここでは見られます。
ミンコフスキはここで40番と41番という二つの交響曲を演奏するにあたって、それぞれのキャラクターを思い切り際立たせているように見えます。そのポイントとなるのが、楽器編成。トランペットとティンパニを欠く40番ではしっとりと、そして、それらが加わって派手な音色となる41番ではドラマティックに、という感じです。そして、ここが彼の趣味の良さなのですが、その2曲の対比を強調するために、間に「イドメネオ」からのバレエ音楽を挿入しているのです。スタティックな世界からドラマティックな世界への、これは言ってみれば予告編のような役目を果たすものなのでしょう。
しかし、それほど周到な準備があったにもかかわらず、41番冒頭の堂々たるたたずまい、ほとんど田舎芝居かと思わせられるほどの大げさな身振りには、しっかり驚かされることになります。さらに、それがほんの2小節後にはガラリと風景が変わって、可憐で慎ましい世界が現れるのですから、その「ドラマ」の振幅の大きさは、度を超しています。そこから見えるのは、もしかしたら気性の変化の激しかったモーツァルトその人の姿なのかも知れません(最近気象の変化が激しいですね)。
第2楽章でも、「ドラマ」は続きます。淡々と清らかな風景がいつまでも続くのかと思われたころ、オーボエとファゴットの「ソ・ド・ミ♭」というアウフタクトに導かれた19小節目では、いきなりテンポが上がって、そのシンコペーションはまるで嵐のような激しい情景を描き始めたではありませんか。それは、まるで風に吹かれる木の葉のような細かい三連符に乗って、恐ろしいほどの厳しさで迫って来たのです。そして、ひとしきり嵐が収まると、何ごともなかったかのようにもとの静かな風景が戻ってくる・・・。この曲でこんな想像をかき立ててくれる人なんて、他にいるでしょうか。
締めくくりの第4楽章は、ですから、見所、いや聴きどころ満載の歌あり踊りありのミュージカルかレビューのよう、逆らうことの出来ないほどの力でぐいぐい引っ張られる爽快感にあふれています。最後のクライマックス、二重フーガが始まる前には、そのスリルに備えるようにきちんと一息入れるところまで用意してくれていますから、もはや逃げるわけにはいきません。この世のものとも思えないティンパニの咆哮がこれでもかと盛り上げるエンディングまで、どっぷりと「ドラマ」に漬かって頂きましょう。
これは、改装成った「文化の家」でのライブ録音。演奏中にははっきり聞き取れるざわめきでその場のお客さんの存在感が伝わってきたものが、演奏が終わるやいなや誰もいないがらんどうの空間になってしまうというのがいかにも不自然です。ミンコフスキにこれだけ煽られておきながら、声一つ立てない聴衆などあり得ません。せっかくの「ドラマ」がとても白々しいものに思えてしまったのは、商品としての完成度をはき違えているメーカーの見当外れの親切心のおかげです。
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by jurassic_oyaji | 2006-07-12 00:14 | オーケストラ | Comments(0)