おやぢの部屋2
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STRAUSS, NONO, WAGNER/Choral Works



Les Percussions de Strasbourg
Marcus Creed/
SWR Vokalensemble Stuttgart
HÄNSSLER/CD 93.179



シュトラウス、ノーノ、そしてヴァーグナーの無伴奏合唱曲を集めたアルバムです。ノーノの曲には打楽器も加わります。ちなみに、シュトラウスというのは、「ワルツ王」ではなく、もっと濃厚な曲を作ったリヒャルト・シュトラウスのこと、オペラや歌曲ほど(「交響詩ほど」と言わないのが、粋でしょう?)知られてはいませんが、合唱作品も男声合唱を中心に幾つか作っています。その中でも異例の「16声部」という複雑なテクスチャーをもつ混声合唱曲が、作品34としてまとめられている「夕べ」と「聖歌」という2曲です。
CDをかけるなり聞こえてきた「夕べ」、その、まるでトーン・クラスターのような厚ぼったい響きには、それが作られた1897年という時代を軽く飛び越えて、まるで20世紀の後半の産物、同じ16声部の合唱によって歌われるリゲティの「ルクス・エテルナ」のようなテイストが宿っていたのには、軽い驚きがありました。呼吸感をほとんど無視したかのような延々と続く音のつながり(実際、それは始まってから4分ほど、全くのブレスなしに続きます)、そこからは、確かに「未来」へ向けられた作曲者の視線すら、感じることは不可能ではありません。幾重にも重なり合うフレーズがあとからあとから覆い被さって作られる一つの宇宙、それがア・カペラの合唱という人間の声で形づくられる時、言いようのない高密度の感触に圧倒されるはずです。その感触を、もし「ねっとり」という言い方であらわしたとしたら、あるいはこの演奏の肌合いが少しは伝わるのかも知れません。そう、芸術監督マルクス・クリードに率いられた南西ドイツ放送専属の合唱団、シュトゥットガルト・ヴォーカルアンサンブルは、まるで厚ぼったい油絵の具のような実に粘りけのあるハーモニーを聴かせてくれています。
もう一つのシュトラウスの曲「聖歌」では、後半の、なんと10声部という複雑な構造を持つフーガで、その「ねっとり」を感じて頂きましょう。およそ対位法のテーマの提示としては似つかわしくないベースの「ねっとり感」、それだからこそ立体的な骨組みよりは、絡み合った声部の混沌にこそ耳が行くという、この古典的な作曲技法のパロディとしての側面が際立ってくるのです。
実際に「ルクス・エテルナ」を最初に世に送り出したという因縁を持つ、1925年生まれの合唱指揮者クリトゥス・ゴットヴァルトが、同じく16声部の混声合唱のために編曲したヴァーグナーの2曲からは、別の意味を持つ「ねっとり感」を味わうことが出来るはずです。この録音のために2004年に出来たばかりのこの編曲、「ヴェーゼンドンクの詩」から、「夢」と「温室で」という、「トリスタンとイゾルデ」の第2幕と第3幕の萌芽とも言うべき2曲を、伴奏のパートにも全て歌詞を付けて合唱曲に仕上げたものです。このように、本来の伴奏と歌とを同じ次元で再構築することによって得られる「ねっとり感」は、まさに「トリスタン」の世界そのものを見せてくれるものです。全ての声部が同等の力で迫ってくる感触を味わえれば、もしかしたらオーケストラで演奏された時よりもはるかに濃厚な「ねっとり」した情感、ほとんど体にまとわりつくほどの粘着質が感じられるかも知れません。
ボーナス・トラックとして、このゴットヴァルトの代表的な仕事として広く知られるマーラーの「リュッケルト歌曲」の中の合唱版「私はこの世から忘れられ」のライブ・バージョンが入っています。聴衆を前にしてのこの演奏、会場内の全ての人と共有している「ねっとり感」は、感動的ですらあります。
このような文脈の中でルイジ・ノーノを味わう時、そこでは否応なしに聴き手のこれまでの体験と、音楽に対する感覚が問われることになります。シュトラウスやヴァーグナーとは根本的に異なる語法、そこにある種の違和感を抱いたとしても、同じ「合唱」という範疇の中で咀嚼することが出来さえすれば、自ずと類似点は感じられるはず、その先には豊かな稔りが必ずあるにちがいありません。
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by jurassic_oyaji | 2006-07-13 19:27 | 合唱 | Comments(0)