おやぢの部屋2
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SCHUBERT/Winterreise




Christine Schäfer(Sop)
Eric Schneider(Pf)
ONYX/ONYX 4010



まるで雪のように白いこのジャケット、お分かりでしょうか、そこにあるタイトルとアーティストの表示は印刷ではなく紙のエンボスによって、かろうじて「文字」と判別できるものです。2行目に並ぶのは作曲者、歌手、そしてピアノ伴奏者の名前、SCHUBERTSCHÄFERSCHNEIDERと、全て「SCH」で始まる単語です。そうなると、このあとに続く言葉は「Der Weg gehüllt in Schnee(道は雪に覆われている)」と第1曲で歌われる「SCHNEE(雪)」以外にはあり得ません。降り積もる雪によっていとも簡単に埋もれてしまうただのふくらみでしかないこれらの文字、それはあたかも夢の中の出来事のように、実体として感じられることを拒んでいるかのように見えます。
シューベルトの歌曲集の最高峰として、「冬の旅」は様々な演奏を産んできました。もちろん本来作られた男声、それも低い声の持ち主が歌ったものが圧倒的に多かったことは、ご存じの通りです。テノールのような高い声の人が歌う時には、余程の覚悟が必要とされることでしょうし、まれに女声が挑戦しようものなら、それはこの曲は「男が歌うもの」という「常識」の前で、あえなく討ち死にを余儀なくされたものでした。
クリスティーネ・シェーファーが「冬の旅」を歌う時には、「女声」であることと「高い声」であることの2点を、言ってみればハンディキャップとして背負うことになりました。しかし、彼女は最初からそんなものは重荷でもなんでもなかったかのように振る舞っています。
第1曲目、「おやすみ」のピアノ前奏が、まるで氷のような冷たさで始まった時、私たちは彼女のアプローチが世の男どものものとは全く異なることに気づきます。それは、「ルル」を演じてしまった女だけに可能な、シューベルトの最創造、ベルクのプリズムを通してロマン派の歌曲を「分光」するという作業だったのです。その「おやすみ」では、モノクロームの光の中でいとも寒々しい世界が広がります。と、どうでしょう、歌が長調に変わった瞬間に、その光はわずかに色彩を取り戻すのです。そのほんのわずかの変化は、なんと強烈な印象を与えてくれることでしょう。それは、芝居じみた大げさな動作からは決して生まれない、歌い手も聴き手も極度の緊張の中にあるからこそ伝わってくるミクロの味わいなのでしょう。
彼女のその様な姿勢は、「言葉」に強烈な意味を持たせることになります。時として、ほとんどメロディを失った、まるでシュプレッヒシュティンメかと思えるほどの息づかいで歌われる「言葉」は、言い様のない力で迫ってきます。第3曲「凍った涙」では、「Tränen」という言葉だけでまさに凍てつくような風景が眼前に広がってきます。たとえドイツ語が分からなくとも、彼女の歌にはそれを感じさせるだけの力がこもっているはずです。
彼女が拓いたこの曲の世界は、第11曲「春の夢」でさらに新しい地平へ広がっていくのが分かります。それは、最初にジャケットで与えられた印象がまさに伏線として準備されていたかのように、この曲に「非現実」の要素を最大限に盛り込むものだったのです。甘い夢が現実によって打ち砕かれるというこの歌詞そのままに、その「甘い」メロディの部分が「夢」という「非現実」、もしかしたらほとんど「狂気」にも近い虚ろな世界であることに、気づかずにはいられません。
彼女が歌う24曲全ての中に、今まで感じたことのなかったような新鮮な驚きが宿っていました。それは決して今までの「名演奏」を否定するものではありません。しかし、もしそれだけで終わっていたとしたらなんと無意味な人生なのでは、と思わせられるほどのものではありました。「『冬の旅』は男の歌うものだなどと、誰が決めたのだ」とでも言いたげなシェーファーのこの「アヴァン・ギャルド」な世界、そう、これはまさに、ヴォツェックではなくルルだから表現できたシューベルトなのです。詳細は、縷々お話ししましょう。
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by jurassic_oyaji | 2006-07-15 17:31 | 歌曲 | Comments(0)