おやぢの部屋2
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Musique du XXe siècle russe pour flûte




Alexandra Grot(Fl)
Peter Laul(Pf)
HARMONIA MUNDI/HMN 911918



このレーベルの「Les nouveaux musiciens」という新人紹介のシリーズ、まるでレオ・レオニの「ペツェッティーノ」みたいなデザインに変わりましたね。これは単なる偶然、自分探しの物語であるあの絵本と、これから世界に羽ばたく新人音楽家のCDとの間に共通点を見出して喜んでいるのは、このサイトだけのことです。

アレクサンドラ・グロートというロシアのフルーティスト、1981年生まれといいますからまだ25歳、別に若くして頭角をあらわす人は珍しくありませんが(あのパユさまは23歳でベルリン・フィルの首席奏者になりました)、ついに1980年代の人が活躍する時代になったのだな、という点では、感慨もひとしおです。
小さい時からピアノを習っていたグロート少女は、8歳の時にゴールウェイのコンサートでその演奏を聴いて、プルーティストになろうと思ったのだそうです。17歳の時からパリのコンセルヴァトワールでピエール・イヴ・アルトーに、さらにミュンヘンでアンドラーシュ・アドリアンに学んでいます。
20世紀ロシアのフルート音楽」というタイトルのこのアルバムでは、ストラヴィンスキー、デニソフ、シュニトケ、そしてプロコフィエフの作品が演奏されています。最も有名で、しかも内容も充実しているプロコフィエフのソナタを最後に持ってくるなど、なかなか考えられたプログラミングであることがわかります。そもそも一番最初の「ツカミ」として、ストラヴィンスキーの「鶯の歌」を、グロート自身がフルート用に編曲したものを持ってくるあたりに、並々ならぬ意欲を感じてしまいます。そして、その成果はまさに彼女の目論見通りとなりました。生命感あふれる、一本芯の通った伸びやかな高音は、たちどころに聴く人の耳をとらえることになったのです。そこからは、彼女の持つ明るくてスケールの大きな音楽が、いともストレートに伝わってきました。これは、妙にチマチマとしたところで勝負している最近の若いフルーティストとは一線を画した、まさに、彼女がこの道を選ぶきっかけとなった巨匠ゴールウェイにも通じようかという、広がりのある世界の見える音楽だったのです。
デニソフの「ソナタ」は、良くあるコンサートピースのように、ゆったりとした部分の後に技巧的な早い部分が続くという構成の曲です。ここでの、特に前半の安定感のあるフレーズの作り方はどうでしょう。高音から低音までムラのない美しい響き、そして、演奏者の都合によって作り出されることの多い変なクセのある歌い方が皆無という、自然になじむ肌触りは、実にすんなりと心の中に入り込んできます。
シュニトケの「古代様式による組曲」は、いかにもこの作曲家らしいシニカルな曲です。昔からの舞曲を再現したかのように見えるシンプルなメロディに秘めたアイロニーを、彼女は絶妙のスタンスで表現しています。
そして、プロコフィエフの「ソナタ」です。並の演奏家では技巧に隠れてしまってなかなか出すことの出来ない開放感を、彼女はその豊かな音と適切なフレーズ感で、余すところなく伝えてくれています。2楽章などはまるで曲芸のような演奏が多い中、しっかり腰の据わった堅実なフォルムを見せています。この楽章でこれほどしっかりした様式を感じられたのは、もしかしたら彼女が初めてだったかも知れないほど、その知的なアプローチは印象的です。ただ、3楽章ではもう少し「深み」のある表現を求めても良いのかも知れません。もちろん、彼女はほとんどそこまで手が届いているのでは、という感触を得られるほどのものもそこには潜んでいます。それは、圧倒的な冴えを見せる4楽章を聴いているうちには、ほとんど忘れてしまえるほどの些細なキズなのですから。
彼女の美しく強靱な音の背後からは、有り余るほど豊かな「音楽」の息吹を聴き取ることが出来ます。その勢いは、現在トップクラスといわれて多くのCDを出しているフルーティストなど、はるかに凌ぐものであるとさえ思える程です。楽しみな新人が出てきました。
ピアノのラウルも、とてもセンスの良いサポートを見せてくれています。この人、ジャケ写をみて、女の子だと思ってしまいました。もちろんお婆さんになったりはしませんが(それは「ハウル」)。
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by jurassic_oyaji | 2006-07-19 20:10 | フルート | Comments(0)