おやぢの部屋2
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MANSURIAN/Ars Poetica




Robert Mlkeyan/
Armenian Chamber Choir
ECM/476 3070



ティグラン・マンスーリアンという、1939年生まれのアルメニアの作曲家の合唱曲です。初めて聞く名前、「饅頭に餡」と覚えましょう。副題が「ア・カペラ混声合唱のためのコンチェルト」、シュニトケの作品に「クワイア・コンチェルト」というのがありましたが、そんなノリの「コンチェルト」、いわゆる「協奏曲」とは別の意味で使っているのでしょう。4つの部分、全部で10の小さな曲の集まり、46分ちょっとで終わってしまう、聴き通すには手頃な長さのものです。
テキストには、やはりアルメニアの詩人イェギシェ・チャレンツという人のものが使われています。もちろんアルメニア語、その英訳がブックレットには掲載されています。
このレーベルの常で、モノクロの写真によってデザインされたそのブックレットにより、まずある種の印象の刷り込みが行われるのは、仕方のないことでしょう。全くキャプションの付けられていないそれらの写真が、果たしてアーティストに関係したものなのか、あるいは単なる心象風景を現実の風景から切り取ったものなのかは判然としないまま、とりあえず最初のページにある断崖の上に寂しく建っている古ぼけた教会のようなものに圧倒されることになります。しかし、そのあと、その同じ建物の前で集合写真を撮っている合唱団員や、その教会の内部でしょうか、太い石柱のある薄暗い空間で実際に彼らがリハーサルを行っている写真を見るに及んで、この建物は現実の録音のロケーションであることをかろうじて知ることになるのです。迂闊にも、演奏家を「American Chamber Choir」と読み間違えてしまったために、その写真に出てくる濃い顔の合唱団員を見て、ちょっとした違和感を持ってしまったという「おまけ」まで、そこにはついてくるのですが。

しかし、そこが現実の場所であろうがなかろうが、その、殺伐とした山頂に独り佇むお城のような建造物の写真からは、まさにこの曲が持つ荒々しい肌触りとの視覚的な結びつきが感じられました。もしかしたら、演奏家はこのような場所で録音(あるいは、リハーサル)する事によって、身をもってこの曲の世界を自らの体内に取り込み、実体のある音として放出することが出来たのかもしれません。
ただ、最初の数曲では、いかにも「ロシア的」な趣しか感じられませんでした。それが具体的にどういうものであるのかを指摘することは出来ませんが、旋律の端はし、歌い方のちょっとしたクセに、それは確かに感じられるものでした。これでは、ラフマニノフあたりのエピゴーネンではないかと。しかししばらくして、この曲の中にはもっと荒涼とした、それこそこの断崖のような風景が広がっていることに気づかされます。それは7曲目の「風」という曲あたりからでしょうか。アルメニアの言葉の持つゴツゴツとした響きが、野性味あふれるハーモニーに乗って、そこからはとてつもないエネルギーが発散されていたのです。ソプラノの、決して西洋人には出せないような地声むき出しの高音の咆哮が、それに彩りを添えます。最後に非常に属和音に近いものが延々と伸ばされ、決して解決しないでそのまま終わるというあたりに、そんな荒涼さをさらけ出す勇気のようなものを見たとすれば、それはおそらく作品に対する賞賛につながるはずです。
その次の曲が「短歌」という、もちろん日本の和歌を題材にしたもの、あるいは、和歌そのものの翻訳なのかもしれません。ここで見られる一見静謐を装ったたたずまいも、本質的にはその荒涼と表裏一体だと気づくのも、容易なことです。
これが世界初録音だと言われている、マンスーリアンの合唱曲、このレーベルが大切に育て上げてきたブランド「アルヴォ・ペルト」の、あまりに澄みきった世界を物足りなく思い始めている人たちには、格好の贈り物になることでしょう。ここには、「ペルト」では見えにくかった生身の人間による感情の息吹が確かに存在していることを、誰しもが感じるはずです。
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by jurassic_oyaji | 2006-07-30 20:12 | 合唱 | Comments(0)