おやぢの部屋2
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TAKEMITSU/Songs




里井宏次/
ザ・タロー・シンガーズ
LIVE NOTES/WWCC-7528


以前、ドミニク・ヴィスが武満徹の「うた」のアルバムを出した時に、曲については「アマチュアのレベル程度の稚拙さ」のようなことを書いたことがありました。それは、「本能的に口をついて出る『鼻歌』程度のもの」と言い換えてもいいのかもしれません。意識しなくてもつい出来あがってしまうメロディライン、それだからこそ、そこには作り手がそれまで背負ってきた全ての音楽体験が凝縮された形で反映されることになるのです。
武満の場合、その原体験はシャンソンであり、ジャズであり、そして映画音楽だったはずです。それらの素材で満たされた脳細胞が、彼の声帯を通して音にした「うた」たちには、当然のことながら極めてキャッチーなたたずまいが宿ることになります。それは、もしかしたら他の人が聞いたら恥ずかしくなるほどの赤裸々な情感を伴っていたのかもしれません。ある意味クラシックの厳格で隙のない音楽に日常的に接している人であれば、それを「稚拙」と感じることにもなるのでしょう。しかし、それは同時に、一度聴いてしまったらつい口をついて出てきてしまうような、聴き手自身の「鼻歌」にもなりうるものだったのです。
最近見た雑誌に、映画の台本の表紙にいたずら書きのように記されていた「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」の楽譜の写真が載っていました。その監督のために作ったスコアは、およそ彼らしくない重厚なものですが、こんなところで密かに「本心」を吐きだしていたのでは、というコメントが、まぶしく感じられるものでした。ベトナム戦争時の反戦集会で歌われたという「死んだ男の残したものは」などは、おそらく「楽譜」すらなかったことでしょう。
1979年に、東京混声合唱団の指揮者、田中信昭に委嘱されて日本古謡の「さくら」を無伴奏混声合唱のために編曲したことが緒となり、武満は1985年までの間に集中的に彼の「うた」をこの編成のために作り直します。極めて素朴な、しかしそれだからこそ人の心を打ってやまない「うた」を、彼はまるで恥ずかしさを隠すかのように煌めくばかりのハーモニーで彩りました。「現代作曲家」としての意地の現れのようにも見えるその編曲、それはあたかも、彼の「本心」を覆い隠す強固な鎧のように見えてきます。
里井宏次の指揮の下、大阪を本拠地として活動を続けているプロの室内合唱団(メンバーは20人程度)「ザ・タロー・シンガーズ」は、この絶妙のバランスの上に成り立っている曲たちから、見事に「うた」の精神と、それを飾る華麗な響きの双方を伝えることに成功しています。中でも、ジャズのリズムが取り入れられているものでのノリの良さには、少人数ならではのフットワークの軽さが存分に反映されていて、聴きものです。ちょっと物憂げな「うたうだけ」でのけだるいリズム、それと対照的に「○と△の歌」での、その、まさに「稚拙」そのもののメロディを飾る元気いっぱいなスウィング感、そしてエンディングの軽やかさは、確かにこれらの「うた」の本質を伝えてくれるものでした。
「小さな空」で見られる、息の長いフレージングは、逆に軽やかさとなってこの曲をとてもチャーミングなものにしてくれました。「小さな部屋で」のような、言ってみれば「バタ臭い」テイストも、変に気取らずに外に出してくれているのが、素敵です。「島へ」の持つ甘ったるいまでのキャッチーさも魅力的、トータルで40分にも満たないこのアルバムは、まるでヒット曲を集めたJ-POPのベストアルバムのようにすら感じられます。
最近では、アマチュア合唱団の演奏会でもよく取り上げられるこれらの「うた」、この曲の一つの模範演奏とされていた関屋晋指揮の晋友会合唱団によるCD(PHILIPS)からは、「現代作曲家」の鎧に覆われて見えにくかった作曲家の「本心」が、ここからは遺憾なく伝わってきているのではないでしょうか。そういえば、武満はタイガースのファンでしたね(それは「阪神」)。
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by jurassic_oyaji | 2006-08-09 19:15 | 合唱 | Comments(1)
Commented by tetsuwanco at 2006-08-09 19:25
私は、タロー・シンガーズによる「うた」は未聴です。今度、聴いてみようと思います。