おやぢの部屋2
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MAHLER/Symphony No.4



Anu Komsi(Sop)
Roger Norrington/
Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
HÄNSSLER/CD 93.164



最近は、CDが作られる時間が、おしなべてスピードアップされているように感じられませんか?
実際、録音されてからまず1年以内には発売されるものが多くなったというのは、「ライブ録音」がだいぶ多くなったこととは無関係ではないのでしょうね。例の「ニューイヤーコンサート」などは演奏された日から数週間後には店頭に並ぶという早さですしね。しかし、7月に入手したこのCDには驚いてしまいました。なにしろ、ブックレットには「2006年9月録音」と記載されているのですから。テクノロジーの進歩は、ついに2ヶ月先の演奏のCD化までをも可能にしてしまったのでしょうか。もちろん、これは単なるミスプリント、外側に付いている「日本語」のコシマキではきちんと「2005年9月」となっていますからご安心を。そう、前回の「1番」同様、ここでもコシマキだけではなくブックレット本体までがきちんと「日本語」で読めるようになっているのです。この前のブラームスのDVDで「日本語」の字幕を付けたりと、このレーベルは日本のファンに向けてのサービスには抜かりはありません。
いつもながらの「ピュア」なサウンドを目指しているノリントンたちのアプローチ、マーラーではちょっと辛いものがあるな、と前回の「1番」を聴いた時に感じたものでした。ですから、今回「4番」を聴くにあたっても、最も関心が向いてしまうのはその点であったのは、当然のことでしょう。それは、第1楽章でヴァイオリンがメロディを歌い出すと、「やっぱり」と思わせられたことにより、現実に何らかの引っかかりがあることが明らかになりました。その時につい連想したのが、歌が上手に歌えなくても「歌手」として大成できることを初めて実証してくれたという、あの松任谷由実でした。この、決してビブラートを付けて歌わない(というか、歌えない)「歌手」からは、なんの魅力も感じない人であれば、その「引っかかり」の感触が分かるはずです。現実には、このアーティストはまっとうな「歌手」としての致命的な欠陥があるにもかかわらず多くのファンに支持されています。それはひとえに、彼女が作り出す曲のユニークさと、それを最大限にアピールしてくれる華麗なアレンジの賜物に違いありません。「歌」のデメリットを差し引いてもあまりあるその魅力が、彼女をこれだけの人気者にしているのではないでしょうか。
ノリントンたちの場合も、同じことが言えます。とりあえず、なんの歌心も感じられない弦楽器には目をつぶってみると、その他の面での魅力が満開になって迫ってくることが分かるでしょう。特に、管楽器が表情豊かに音楽をリードしている場面の、なんと多いことでしょう。この曲で管楽器がこんなに活躍していたなんて、初めて気が付いたような気がします。第1楽章の後半、クライマックスに達したあたりの金管楽器の迫力の凄さには、思わず度肝を抜かれてしまいました。
第2楽章でも、ノリントンが目指したであろう切迫した音楽の運びは、主に管楽器によって形づくられていきます。その、意外性がふんだんに盛り込まれたフレーズの処理を味わっているうちに、時たま聞こえてくる無表情な弦楽器にも、それなりの聴かせどころが用意されていることが分かってきます。それは、主に過激なまでのアクセントと、グリッサンドの指示に対する異常なまでの忠実さです。このグリッサンドを聴いていると、マーラーが求めたもの以上の表現、もしかしたらクセナキスあたりにまで通じるかもしれないものが感じられてしまうのが、不思議です。
第3楽章ともなれば、いくら聴くまいとしても弦楽器に耳をふさぐわけにはいきません。それにもかかわらず、例えばほとんど終わり近くに現れるFis-MollからFis-Durに変わる瞬間に確かに純正なハーモニーが聴き取れたりすれば、これこそが「シュトゥットガルト・サウンド」の成果であろうと納得させられてしまうのです。確かに、現代のフルオーケストラでこれだけ澄んだ響きを味わえることはまずありません。ただ、これは彼らの「実験」の一つの段階だと思いたいものです。このような響きのポテンシャルを持った弦楽器セクションが、さらにたっぷり歌うことを身につけたならば、もはや怖いものは何もなくなってしまうことでしょう。その時には、第4楽章のソリスト、コムシのように、無理矢理ビブラートを押さえつけられることもなくなってくるはずです。
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by jurassic_oyaji | 2006-08-13 19:43 | オーケストラ | Comments(0)