おやぢの部屋2
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WAXMAN/Joshua

Maximilian Schell(Nar)
Rod Gilfry(Bar), Ann Hallenberg(MS)
James Sedares/
Prague Philharmonia
Prague Philharmonic Choir
DG/00289 477 5724



ユダヤ人であるためにナチに追われて、ヨーロッパからアメリカに居を移し、ハリウッドで映画音楽の大家として名声を獲得したのが、フランツ・ワックスマンです。彼はハリウッド時代には154本もの映画のためのスコアを書き、その内の12本がアカデミー賞にノミネートされています。そして1950年の「サンセット大通り」(ビリー・ワイルダー監督)と1951年の「陽のあたる場所」(ジョージ・スティーヴンス監督)で2年連続オスカーを獲得するという、ハリウッドの作曲家としては誰も成し遂げなかった偉業を達成するのです(そして、その栄誉は現在も彼だけのものです)。彼のほとんど唯一の「クラシック」の作品として広く知られているのが、ヴァイオリンのための「カルメン幻想曲」でしょうか。この曲も、実は1947年の「ユーモレスク」という映画のサントラとして作られたものなのです(演奏していたのはアイザック・スターン)。
この曲がハイフェッツやコーガンによって録音され、コンサートでも取り上げられるようになると、彼も本腰を入れて「クラシック」の曲も作るようになります。例のDECCAの「退廃音楽」シリーズでも取り上げられた「テレジンの歌」(1964/65)などが、その代表でしょう。そして今回、1959年に初演され、1961年に再演されたきり、完全な形では演奏されたことのなかった「ソリスト、ナレーター、混声合唱とオーケストラのための劇的オラトリオ『ヨシュア』」という作品が、初めて録音されました。もう彼のことを「映画音楽だけの作曲家」と呼ぶのはよすわ
旧約聖書の「ヨシュア記」に題材を求めたジェームズ・フォーサイスの英語によるテキストは、ナレーターの案内によってモーゼの死から、その遺志を継いでイスラエルの民を導いたヨシュアの死までを描いています。前半の山場が黒人霊歌でお馴染みの「エリコ(ジェリコ)の戦い」。この霊歌の原題は「Joshua fit de Battle of Jericho」ですから、確かにヨシュアの名前が歌詞に登場していましたね。そのエリコの砦に忍び込んだヨシュアのスパイをかくまったラハブを、最後のシーンでも登場させているのが、物語としての構成上の工夫でしょうか。しかし、昨今の中東情勢を見るにつけ、このような一方的な史観に基づく物語には、複雑な思いも伴います。
音楽は、まさに映画のためのスコアの延長と言っても差し支えないものです。あくまで分かりやすい情景描写と心理描写が、職人的なオーケストレーションを伴って繰り広げられていきます。要所要所に「かっこいい」部分を持ってくるのは、「さすが」と思わせられる手口です。例えば、始まってすぐに出てくるヨシュアの「当惑のアリア」などに、そんな「ツカミ」のうまさが光ります。イントロの金管のかっこいいこと。その他の「アリア」も、あくまで物語の流れを断ち切らないクールさが素敵です。「第1部」の最後で見られるポリフォニックな処理あたりが、ことさら「クラシック」を意識した、力の込められた部分でしょうか。しかし、結果的に「オラトリオ」とは言っても、まるでミュージカルのような雰囲気が存分に味わえるのは、この曲が「英語」によって歌われているからだけではないはずです。曲の終わり、ヨシュアの死を受けた音楽の最後のコードの余韻がいかにも感動的。これは、作曲者の妻の急死がこの曲が作られたモチベーションだったことの反映なのでしょうか。
歌手では、ラハブを演じたアン・ハレンベルクが出色、ドラマティックな声とスタティックな声を使い分けて、魅力を放っています。しかし、肝心のモーゼ、ヨシュア役のロッド・ギルフリーが、あまりにも一本調子なのは残念です。このビブラート過多の歌い方は、「ミュージカル」には似合いません。
合唱とオーケストラは、経費の関係でしょうか、チェコの団体が使われています。オーケストラは、派手な響きはないもののそこそこスペクタクルな味は出しているのですが、合唱があまりにもお粗末です。このような曲に必要な「はじけた」センスが全く欠如したテンションの低い演奏、先ほどのポリフォニックな部分など、悲惨そのものでした。ハリウッドとは言わなくても、せめてロンドンあたりで録音してくれていれば、もっと聴き映えのするものになっていたことでしょうに。
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by jurassic_oyaji | 2006-08-19 23:09 | 合唱 | Comments(0)