おやぢの部屋2
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BRUCKNER/Symphonie d-moll "Nullte"




下野竜也/
大阪フィルハーモニー交響楽団
AVEX/AVCL-25099



ブルックナーの交響曲には「1番」の前に「0番」というものがあって、さらにその前には「00番」というものがあるということになっています。確かに、ヘ短調の交響曲「00番」は、いかにも今までの作曲家の姿が見え隠れする「習作」という感じは拭えませんから、あえて番号を外した、というのは間違ったことではないでしょう。しかし、「0番」というのは、実は「1番」を作ったあとに作られたもので、実際は「2番」に相当するもの、もうこれは間違いなくブルックナー自身の要素がぎっしり詰まった立派な交響曲です。しかし、ここがいかにもブルックナーらしいのですが、せっかく作ったこの曲を他の人にけなされたからといって、「これは『無価値』な交響曲だ」ということで、葬り去ってしまおうとするのです。ドイツ語で「ヌルテNullte」と言えば、もちろん「0番」という意味もあるのですが、ですから、この場合は「無価値」という別の意味をこの言葉に持たせて、作曲者自らが「命名」したということになるのです。これからは、このニ短調の曲のことを「交響曲第0番」ではなく、「無価値交響曲」と呼ぶことにしませんか?交響曲史上まれに見る、この救いようのない程ネガティブな「愛称」、いかにもブルックナー然とした、素敵なネーミングなのではないでしょうか。あるいは、一度ボツになったものをそのまま使い回して、大もうけしようという魂胆だったとか(それは、「ヌルテに粟」)。
確かに、そんな出自のせいでもないのでしょうが、この曲は演奏される機会は極端に少ないものになっているのは、否定できない事実です。私でさえ、きちんと聴くのはこれが初めてと言うぐらいの珍しさなのですから。しかし、そんなレアな曲を、下野竜也さんの演奏で最初に聴けたことは、なんと幸せだったのかと思わずにはいられないほど、このCDは素敵な体験を与えてくれました。それは、一度聴いただけで、初めて聴いたこの曲の魅力が存分に伝わってきたという、希有な出会いだったのです。
例のブザンソンの指揮者コンクールに優勝して以来、内外で大活躍の下野さんですが、この秋からは読売日本交響楽団の正指揮者という立派なポストに就くことが決まっていて、ますます目が離せない存在となっているのは、皆さんご存じの通りでしょう。すでに2枚ほど出ているCDも聴きましたし、実際にコンサートに行ったことがあるだけでなく、「指揮をして頂いた」こともあるという貴重な「下野体験」まで持っているのですが、そんな体験を通じて感じた下野さんの魅力は、「見晴らしの良さ」です。彼が作り上げる音楽では、今演奏されているものの中で、何が重要なポイントであるのかがはっきり分かり、それがその次の段階にどのような働きを持っているのか、ということが、なんの迷いもなく伝わってくるのです。
この曲の第1楽章で、その特質が遺憾なく発揮されることになります。はっきり言ってとらえどころのない多くのテーマが、下野さんの手にかかると、それぞれがしっかりとキャラクターを主張してくれるようになるのです。それは、最初にこういう演奏を聴いていれば、作曲者があれほど落ち込むような批評は出ては来なかったのでは、とさえ思えるほどのものでした。
第2楽章では、ゆったりとしたテーマをことさら甘く歌い上げないのが、かえって素敵です。特にいじくり回さなくても、自然とわき上がってくる情緒を大切にしているのでしょう。お陰で、一番最後、もう終わったかと思った時に現れる本当に静かな佇まいが、とてもいとおしく感じられます。
第3楽章のトリオでも、そんな自然な美しさが味わえます。そして、フィナーレともなれば、荒々しいブルックナー節が出てくるのはお約束ですが、そこからほんのちょっと距離を置いているあたりが、下野さんの下野さんらしさでしょうか。
大阪フィルとのブルックナー、朝比奈翁の手垢の付いていない別の版の演奏などがこれから出てくるといいですね。4番の第1稿などを下野さんが振れば、きっと素晴らしいものが出来そうな気がします。
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by jurassic_oyaji | 2006-08-30 00:07 | オーケストラ | Comments(0)