おやぢの部屋2
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高橋悠治(Pf)
DENON/COCQ-84171



高橋悠治の70年代のDENONへの録音が、まとめて13アイテム紙ジャケット仕様でリイシューされました。これらのレコードが、LPとして世に出た形を知っているものとしては、これはまるでまるで「グリコのおまけ」、何とも情けなさの伴う郷愁があふれてきたものです。というのも、これらのLPは、まだCDが影も形もなかった時代に、世界で初めての「デジタル録音」を体験させてくれるものとして、他のLPとはひと味違った重さを持ったものだったからです。
一般的には、デジタル録音というものが行われるようになったのは1980年以降だというのが、広く知られている認識ではないでしょうか。しかし、それよりもずっと早い時期に、このレーベルを掲げていた日本のレコード会社は、世界で初めて「デジタル録音」を実用化するのに成功していたのです。今では「デジタル」の代名詞とも思われている「PCM」という略号も、この会社が商標登録しているものでした。
その「PCM」のレコーダーを携えて、この会社は世界各地で自主録音を行います。当時原盤契約のあったSUPRAPHONERATOのアーティストを起用して、デジタルならではのクリアな音を見せつけたのです。当然、国内でも制作は行われました。その中で、特にこの会社が重用したのが、それまで「天才ピアニスト」と騒がれて、海外で華々しい活躍をしていた高橋悠治です。彼が活動の拠点を日本に移し、「トランソニック」という作曲家集団を組織するのと相前後して、夥しい数のレコーディングを行ったのです。バッハからジャズミュージシャンとの即興演奏、そして自らの作品とレパートリーは多岐にわたりました。
そんな悠治の一連の「PCM」録音、ノイズがなくてダイナミック・レンジが広いという「桁外れな」特性(当時は、そう信じられていました)に見事にマッチした彼の「解像度」の高い演奏によって、それまで聴いたことのなかったような新鮮な驚きを与えられたものです。中でも、このシリーズの最初の頃に発表されたこのドビュッシーのアルバムは、衝撃的なものでした。後期のものは次第に間接音なども取り込んだゆるい音場に変わっていくのですが、この頃はまさにピアノの弦の中に頭を突っ込んだような生々しい音の炸裂を聴かせてくれていました。それまで聴いてきたドビュッシーといえば、それこそ霧の中からほのぼのと漂うような「雰囲気」を重視したもの、そこに、この、一つ一つの音が独立した命を持って飛び跳ねているような不思議な演奏を完璧に捉えきった録音に出会ったのですから、その虜にならないはずがありません。特にお気に入りは、「映像第1集」の3曲目「運動」でした。最初の八分音符の導入に続いて三連符の細かい動きが始まった瞬間から、そのノリの良さには引き込まれてしまいます。ほんのちょっとしたアクセントから異様にショッキングな印象を与えられるのも、ちょっとした驚きでした。そして、これ以上の鋭さはないと思えるほどのタッチで入ってくる、「ソソファミレドドソ」という平行5度と平行8度を伴う下降テーマの堂々としたたたずまい。この、まるでキース・エマーソンのような、およそドビュッシーらしからぬ演奏は、それから長い間、繰り返し味わうことになるのです。
それらのLPは、ほとんどのものがCD化され、サティなどは海外でも高い評価を得ていました。しかし、例えば今回のシリーズの中の自作「ぼくは12歳」あたりは、一向にCD化される気配もなく、しびれを切らして他のレーベルから発売されてしまったこともあるというように、録音したメーカーが必ずしも全てのアイテムに愛着を持っていた訳ではなかったことが、明らかになっていました。
このドビュッシーは、1991年に1度CDとなってリリースされています。しかし、その時のジャケットはなにやら取りすましたデザイン、LPのジャケットと、その録音、演奏が一体となったものとしての呪縛に取り憑かれていたものにとっては、なんの魅力も感じられないものでした。それが、晴れてオリジナルジャケットで復刻されたではありませんか。確かにLPのジャケットが持っていた存在感はないものの、そこから聞こえてきた音は昔の印象がただの物珍しさに起因したものではなかったことを、確認させてくれるものでした。それだけに、ミニチュアでしかない外観とのミスマッチは募ります。もっと言えば、BRIDGE盤のように、レーベルまできちんと復刻しなければ、せっかく復刻しても意味がないのでは。
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by jurassic_oyaji | 2006-09-07 20:29 | ピアノ | Comments(0)