おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
Maestro
c0039487_14255329.jpg
 篠田節子の原作による「マエストロ」というドラマを、WOWOWの2時間枠でやっていました。コアな篠田ファンだったら、もしかしたらこのタイトルにはあまり馴染みがないかも知れません。それもそのはず、もともと1992年に出版されたときには「変身」というタイトルだったからです。それを大幅に書き直して、昨年文庫本として刊行されたときに、タイトルも「マエストロ」と変わったのだとか。クラシック音楽を扱ったものでは、二ノ宮知子など足元にも及ばないリアリティを表現することが出来る彼女のことですから、そのドラマとなれば大いに楽しみになるのは当然です。
 原作はどちらも読んだことはありませんから、それがドラマになったときにどれだけ削られ、あるいは付け加えられたのかは知りようがありませんが、明らかに沢山の要素を詰め込みすぎて消化不良を起こしているのでは、という感じはありました。2時間で完結させるためにはもう少し刈り込んだ方が良かったのでしょう。ただ、とにかく魅力的なエピソードがたくさんあって、どれを削るべきかといわれれば、私でも判断はつかないはずです。
 主役のヴァイオリニストは観月ありさ、これはどうにもならないことですが、やはり「右手」は見るからにシロート、ピアノあたりですと一生懸命練習すればある程度はサマになりますが、こればっかりはどうしようもありません。ですから、そういう点に関してのリアリティは、最初から放棄して臨まざるを得ません。しかし、例えばかつてのライバルと一緒に演奏しているシーンでは、それぞれのキャラクターの違いが、誰にでも分かるほどの分かりやすさで弾き分けられていたのはさすが。
 という程度の、まずまずの「考証」に基づいたドラマ、物語としては多少無理がなくはありませんが、偽ヴァイオリンをつかまされたあとの迫力は見物でしたね。このネタは、明らかにあの有名な○野氏の実話に基づいているのでしょう。もはや大昔の話ですから、今となってはスキャンダルがらみの生々しさはすっかりなくなったという、作者の判断なのでしょうか。
 一番楽しめたのは、やはりヴァイオリンの修復の話でした。それと、イタリアのオールドだと思って素晴らしい音に夢中になっていたのに、それが日本人の最近の作品だと分かったときのヴァイオリニストのリアクション。これこそが、この世界の「リアリティ」を最もあらわしているエピソードではなかったでしょうかね。物語としては、最後のシーンが最も重要なものになるはずだったのでしょうが、そこがあまりにも雑な作りになっていたのが、残念でした。
 この主人公のヴァイオリニスト、一度もコンクールで優勝していなかったことを、大きなコンプレックスとして抱えています。修業時代にコンクールで良い成績を修めるというのは、演奏家としてのハクを付けるためには欠くべからざることだというのも、また「リアリティ」です。
 ところで、いつもお馴染み、末廣誠さんの「ストリング」のエッセイの今回のテーマが「コンクール」でした。その中で末廣さんが書かれていることには頷くことばっかりでしたよ。合唱やブラスのコンクールについても言及しているのですが、一番ウケたのは「なんで大人になってもコンクールに出るのだ」というところ。高校生あたりが一つの精進の目標として評価してもらうために出るのは判るけれど、「一般」でそれはないだろうということです。コンクールというのは、キャリアを築くための段階に過ぎないわけで、それ自体を目的にしてしまうのはおかしいというのは、言われてみれば当たり前のことですね。幸い、私が今までに所属していた合唱団は、そんなものとは全く無縁、演奏会だけが目標でした。もちろん、今いるオーケストラでも、誰も「コンクールに出よう」なんて言いません。そもそも、そんなものは存在していませんし。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2006-09-25 21:18 | 禁断 | Comments(0)