おやぢの部屋2
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STRAUSS/Lieder




Jonas Kaufmann(Ten)
Helmut Deutsch(Pf)
HARMONIA MUNDI/HMC 901879



ヨナス・カウフマンというテノールを初めて見たのは、BSで放送された「ティートの慈悲」ででした。チューリヒのオペラハウスのライブ映像、ちょっと変わった演出で、ネクタイを締めたり、軍服を着たりと、「現代」風にアレンジされているものでしたが、そこでタイトル・ロールを歌っていたのが、カウフマンだったのです。そういう演出ですから、カツラや大げさなメークもない「素」の顔で登場したカウフマンは、オペラのテノールにはあるまじきスリムな体型と端正な顔つきを披露してくれていました。それはまるで、ハリウッド・スターのヒュー・ジャックマン(例えば、メグ・ライアンと共演した「ニューヨークの恋人」とか、最近では「X-MEN」シリーズでお馴染み)のような、甘さと凛々しさを併せ持つ、とても魅力的なマスクでした。しかし、そんな外観をしのぐほど、本当に魅力的だったのは、その声です。基本的にはリリック・テノールなのでしょうが、そんな声の人にありがちな弱々しさが全く感じられない、突き抜けるような力強さまでが備わったものだったのです。おそらく、普通に考えればモーツァルトの、このティートとか、タミーノやドン・オッターヴィオにはちょっと「強すぎる」キャラクターなのかも知れませんが、それだからこそなにか特別な魅力を感じてしまいました。
というのも、このような役に対する一つの理想のテノールの姿は、ほとんどいにしえのペーター・シュライヤーで固定されてしまっていました。それに比べると、シャーデやボストリッジといった最近の人には、一つ芯の通った力強さが欠けているように思えてなりませんでした。もはやモーツァルト・テノールに対する世の嗜好はそういう甘ったるいものに変わってしまったのだな、と思い始めていた矢先の、このカウフマンとの出会いです。しかも、そこには、シュライアーさえも持ち得なかった決然とした力までもが備わっているではありませんか。なんでも、彼は「パルジファル」までレパートリーに入っているとか。ヘルデンっぽいリリック、もしかしたらこれは、モーツァルトには理想的とも言えるテノールの形(あくまで個人的な好みですが)なのかも知れないと思わせられるだけのものが、彼が歌うティートの中にはあったのです。
そんなジャックマン(あ、彼はミュージカル・アクターでもあったのですね)、ではなくてカウフマンの初のソロアルバムは、なんとリヒャルト・シュトラウスの歌曲集でした。モーツァルトもヴァーグナーも歌える歌手によるシュトラウス、確かに、これは鋭いところを突いてきています。そして、思った通り、それは見事な成果を上げたものでした。シュトラウスの歌曲といえば、まず女声で歌われるものと相場が決まっていますが、どうしてどうして、彼によって女声にはない新鮮な表現が味わえるのは、とても幸福な体験でした。最初に聞こえてきた「献呈」から、その迷いのないストレートな声には圧倒されてしまいます。それだけではなく、ちょっと力を抜いて柔らかく歌うところの、なんと魅力的なことでしょう。決して大げさな身振りではない等身大の心情の吐露が、そこには見られます。いわば、邪心のない若者の自信と、それとは裏腹な揺れ動く迷いの心のようなものが、彼の歌の中には感じられるのではないでしょうか。ピアノ伴奏のドイッチュも、そんなナイーブな心に突き刺さるような踏み込んだタッチで、音楽を深みのあるものにしてくれています。最後の「悪い天気」なども、ちょっとひねくれたワルツに乗って歌われるシュールな歌詞を、さりげなく表現していて素敵です。
ただ、ほんのちょっとした細かい不満が、録音に対してないわけではありません。カウフマンの声も、そしてピアノも、なにか作り物のような乾いた感じがあって、お互いに「音」として溶け合っていないのです。さらに、フォルテになると声が恐ろしくきついものになってしまいます。これは、録音が行われたベルリンのテルデック・スタジオのせいではないはず、明らかにエンジニアのセンスの問題でしょう。もっとたっぷりとした音場で録音された、モーツァルトのアリア集などを、ぜひ聴いてみたいものです。
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by jurassic_oyaji | 2006-09-29 19:16 | 歌曲 | Comments(0)