おやぢの部屋2
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MOZART/Mass in C minor

Natalie Dessay, Véronique Gens(Sop)
Topi Lehtipuu(Ten), Luca Pisaroni(Bas)
Louis Langrée/
Le Concert d'Astrée
VIRGIN/359309 2
(輸入盤)
東芝
EMI/TOCE-55860(国内盤 1025日発売予定)


ご存じのようにモーツァルトの「ハ短調ミサ」は、作曲者が途中で完成させることを放棄してしまったため、極めて中途半端な形でしか現在には伝えられていません。特に「Credo」以降はある程度のスケッチしか残っていないので、例によっていろいろな人の「補筆」に頼らないことにはきちんとした演奏は出来ないようになっています。そこで、今までにいろいろな人がその「補筆」作業を行ってきたわけですが、ここに来てまたまた新しい「版」が加わることになりました。2006年の1月末から2月始めという、まさに作曲者が生まれてからちょうど250年経ったというその時期にこの曲の録音を行ったルイ・ラングレが、そこで使うために準備したものが、ここで聴くことが出来る「ラングレ版」です。これからは台風のシーズンですから、役に立つでしょう(それは「アンブレラ」)。
ラングレは、時系列に従えば、アンドレ版からシュミット版(ブライトコプフ)、ランドン版(ペータース)、エーダー版(ベーレンライター)、モーンダー版(オクスフォードUP)、バイヤー版(アマデウス)、レヴィン版(カルス)という今まで出版されたものは全て満足のいくものではなかったと、ライナーノーツの中で語っています。そこで彼は、自ら自筆稿にあたって、校訂を行うことになるのです。そして、その結果出来上がったものは、今までのものからの「いいとこ取り」のようなものになりました。「Credo」ではモーンダー版のようにトランペット、トロンボーン、ティンパニを追加、にぎやかなサウンドを追求しています。かと思うと、次のソプラノソロのための「Et incarnatus est」では、エーダーやモーンダーが加えたホルンを削除、ランドンの形に戻しています。さらに、「Sanctus」ではシュミット版まで戻った、最初の小節から合唱が入るというものになっています。
オリジナル楽器を用いたル・コンセール・ダストレ(合唱団もこの呼称に含まれています)とラングレの演奏は、おそらく今出ているこの曲の演奏の中でも、最も挑戦的な肌触りを持つものに違いありません。メリハリのきいたオーケストラのアーティキュレーションは、最初の「Kyrie」からこの曲に異常とも言えるテンションを与えています。ハ短調の響きを立ち止まりながら噛みしめるという、今までありがちな表現とは全く異なる、ひたすら先へ進むことを強要されているような歩みが、そこにはありました。そして、そのテンションが全開となるのが、先ほどのような校訂を施した「Credo」です。ティンパニはここぞとばかりに炸裂、とんでもなく速いテンポと相まって、まさに「ハイ」で「サイケ」な世界が繰り広げられることになりました。
そんな「押せ押せ」の進行ですから、このアルバムの看板であるはずの2人の美女、ナタリー・デセイとドミニク・ジャンスの持ち味が少し損なわれているのでは、という感触が与えられるのはやむを得ないことなのでしょう。例えば、彼女たちの二重唱の「Domine」では、このテンポに煽られて、コロラトゥーラが無惨なことになっています。ちなみに、この2人、デセイが上のパート、ジャンスが下のパートなのでしょうが、ソロの曲ではライナーには何の表示もありませんからどちらの人が歌っているのか、分からなくなってしまうことはないのでしょうか。でも、輸入盤にはDVDが付いた「限定盤」もあるそうなので、それを見れば分かるのでしょうね。私は「Laudamus te」はジャンス、「Et incarnatus est」はデセイだと思うのですが、どうでしょう。
合唱は、フォルテで張り切っているときには力強いものが感じられ、メリスマにも破綻はないのですが、ピアノになるととたんに粗さが目立ってきます。生の声が表に出てきて、とても無神経に聞こえてしまうのです。もっとも、そんな細かいことなどあまり気にならない程、このテンションが産み出すドライブ感に魅力が感じられるのも事実です。指揮者の趣味がもしかしたらモーツァルトさえも押しのけてしまっているかも知れないこの演奏、しかし、その爽快感には捨てがたいものがあります。
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by jurassic_oyaji | 2006-10-08 23:02 | 合唱 | Comments(0)