おやぢの部屋2
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HOSOKAWA/Birds Fragments





Alter Ego
STRADIVARIUS/STR 33689



1955年に広島に生まれた細川俊夫は、中学生の頃ピエール・ブーレーズの作品を聴いて、「現代音楽」というものに目覚めたといいます。その後ドイツでユン・イサンやクラウス・フーバーの薫陶を受け、今や世界的な名声を博することになったこの作曲家は、彼がその時ブーレーズの中に見た「冷たく、光り輝く明晰さ」を、全くそれとは異なる彼独自の語法で私たちに伝えてくれるすべを獲得していました。
今回イタリアのレーベルからリリースされた、彼の小アンサンブルのための作品を集めたこのアルバムのジャケットは、、もしかしたら曲のもつ世界を垣間見ることが出来るかも知れないほどのインパクトを持った、素晴らしいものでした。ほとんど「アート」としか見えない毛筆の書、しかし、そのモノクロームの筆致が主張する空白との間の緊張感は、彼の音楽の中に流れるある種の厳しさと見事な符合を見せているのを感じることでしょう。そして、日本人である私たちは、この書の中にテキストとして「意味」を見いだすことさえ出来るはずです。かなりデフォルメされていますが、ここにしたためられているのはおそらく「荒海や 佐渡に横たふ 天の川」という芭蕉の俳句に違いありません。日本人であれば、その世界観は容易に理解できることばしょう。うがった見方ではありますが、彼の音楽を味わうときに、西洋人と日本人ではおそらく異なった感触を得るのではないかという可能性を、このジャケットで象徴的にあらわした、とは言えないでしょうか。
イタリアのアンサンブル「アルテル・エゴ」のフルート奏者マニュエル・ズリアがバス・フルートのソロで登場する「息の歌 Atem-Lied」では、まさにその「息」のもつ厳しいまでの存在感を味わうことが出来ます。おそらく楽器からかなり近い場所にマイクがあるのでしょう、ほとんど楽器のメカニズムとは関係のないところでの多様な「息」の表現は、ある時は荒れ狂う嵐のように、またあるときは梢をわたるかすかな風がもたらす木々の歌声のように聞こえてきます。その中に「尺八」の響きを聴き取ることが出来るのは、多分日本人の感性でしょう。
ズリアの出番はもう1曲、アコーディオンとの共演によるアルバムタイトル、「鳥たちへの断章III Birds Fragments III」です。ゲストメンバー、クラウディオ・ジャコムッチのアコーディオンは、本来は日本の雅楽器、笙(しょう)のためのパート、その楽器が織りなす淡々とした、しかし刻一刻変化する風景の中を、バス・フルートは、今度はメカニズムによって産み出される重音などを存分に駆使して歌い出します。後半、彼の楽器はピッコロに変わります。それはまさに鳥のさえずりそのもの、生命観あふれる躍動的な世界が広がります。
ピアノのオスカル・ピッツォ、ヴァイオリンのフランチェスコ・ペヴェリーニ、チェロのフランチェスコ・ディロンという編成の「Memory - In Memory of Isang Yun」は、文字通り、この曲が出来る前年1995年に亡くなった細川の師、ユン・イサンへのトリビュートとなっています。それは、波乱に満ちた人生を送った師への安らぎという名の贈り物であるかのような、瞑想的な作品です。ほとんど無音の状態から生まれ出す弦楽器のささやき、そこに打ち込まれるピアノのパルスは、その静けさを際立たせるアクセントに過ぎません。最低音部のプリペアされたピアノ線の音色は、深く心にしみこむものです。
そして、クラリネットのパオロ・ラヴァーリャに、チェロ、ピアノが加わった「Vertical Time Study I」に込められた「刹那」に対する命がけのパワー、ヴァイオリンとチェロのための「Duo」に漂う「間」の饒舌さを味わうにつけ、そこには日本人にしか持ち得ない時間の感覚が確かに存在していることを知るのです。
最後に収録されたピアノ・ソロ、「"Haiku" for Pierre Boulez - To His 75th Birthday」で、ジャケットの意味が明らかになります。彼の心の師とも言えるブーレーズへのオマージュ、しかし、ピアノの音の余韻まで完璧に表現の一部となっているこの作品からは、この20世紀の申し子とも言える大作曲家の呪縛から解き放たれた、細川自身の声がまざまざと聞こえてはこないでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2006-10-17 23:26 | 現代音楽 | Comments(0)