おやぢの部屋2
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Two Mozart Masterpieces in Contemporary Transcription



Malcolm Bilson, Zvi Meniker(Fp)
Abigail Graham(Ob), Mónika Tóth(Vn)
Laszló Móré(Va), Csilla Vályi(Vc)
HUNGAROTON/HCD 32414



Contemporary」というのは「現代の」ではなく「同時代の」という意味です。ですから、これはモーツァルトの作品をその時代、18世紀後半の人が編曲したもの、ということになります。ここでそれらの編曲の世界初録音を行ったフォルテピアノの重鎮ビルソンとハンガリーで活躍中のメンバーによるアンサンブル、もちろんオリジナル楽器が用いられています。
1曲目は、「グラン・パルティータ」という名前で知られている13の管楽器のためのセレナーデを、1767年生まれ、ハンブルクのカントールを務めていたクリストフ・フリードリッヒ・ゴットリープ・シュヴェンケという人がフォルテピアノ、オーボエ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという編成のクインテットに直したものです(ちなみに、彼はこの職を1788年に前任者のカール・フィリップ・エマニュエル・バッハから引き継ぎました)。オリジナルはかなり大規模な編成、しかも主旋律のパートを受け持つ楽器がオーボエ、クラリネット、バセットホルンと、多彩な音色を味わうことが出来るものですが、この編曲では潔くソロをオーボエ1本に任せるというプランをとっているようです。そこにヴァイオリンがからみ、フォルテピアノは和声と低音を担当するというのが基本的な役割でしょうか。従って、メロディーを一手に引き受けるオーボエにかかる負担は非常に大きなものになってきます。しかし、ここでそのパートを吹いているイギリス出身のグレイアムは、オリジナル楽器というハンディを考慮しても、ちょっと力不足の感は否めません。素朴な音色はフォルテピアノや弦楽器とよく溶け合ってはいるのですが、もう少し精密な音程が欲しかったところです。
なんと言っても原曲のイメージが強いものですから、例えば2曲目のメヌエットで印象的に聞こえてくるホルン五度のフレーズがさらりと平凡なハーモニーに置き換わってしまっているのはちょっと物足りないものがありますし、なによりもファゴット2本とコントラバスで迫ってくる低音が全く再現されないのには失望を隠せません。終曲の魅力であるオーボエと低音の掛け合いの妙味が、ここでは完璧に失われています。とは言っても、彼らが作り出す音楽そのものは、かなり自由度のあふれたフレッシュなものでした。アイディアあふれる装飾やアインガンクは、おそらく編曲の際に楽譜に加えられたものではないはずです。
ただ、原曲にはないものが加えられている部分もあります。二つ目のメヌエットである4曲目は、本来は二つのトリオを持っているのですが、ここではなんと三つ目のトリオを聴くことが出来るのです。ちょっと肌合いの違ったチャーミングなトリオですが、もちろんこれはここで初めて聴けるもの、どのような経過でここに挿入されたのかは、不明です。もしかしたら、将来管楽器のバージョンでこのトリオが演奏されることがあるかも知れませんね。
もう一曲、有名なト短調の弦楽五重奏曲を、1751年生まれの、歌手でもあったカール・ダヴィッド・シュテグマンという人がフォルテピアノ連弾のために編曲したものも、収録されています。深い愁いをたたえた第一楽章こそ、この楽器で演奏されるとちょっと違和感が伴いますが、他の楽章ではまるで最初からこの編成だったのかと思わせられるほどのハマりようだったのは、別な意味での驚きでした。
これを聴いて、以前、オペラをピアノだけで演奏したものには強烈な違和感があったことを思い出しました。編曲という、ある意味記号化の作業では、歌のようなものをピアノに置き換えた場合、その記号になじまない要素が抜け落ちてしまうことがあります。おそらく、「13管楽器」でもその要素はかなり多かったものが、「弦楽五重奏」では、ほぼ完璧に置き換えられることが出来た結果が、このアルバムでも現れていたのではないでしょうか。弦楽器、管楽器、声というように、「器楽」的な要素が稀薄になるに従って、次第に記号化が難しくなっていくというものなのかも知れません。その認識のないまま気迫だけで編曲を行うときに、何か重要なものが欠落してしまうことがあるのでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2006-11-08 19:43 | ピアノ | Comments(0)