おやぢの部屋2
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Roger Norrington
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 このところの東京では、アーノンクールだ、クリスティだ、ノリントンだと、ちょっと毛色の変わったビッグネームが相次いでお目見えするということで、大騒ぎになっているようですね。チケットの争奪戦は大変そうですが、逆に仙台にいる限りはどうせ聴けないと、さっぱり目を背けて大騒動に巻き込まれないだけ、ストレスはたまらないのではないでしょうか。というのは、もちろん負け惜しみなのですが。実はクリスティの「パラダン」などは客席がガラガラだったそうですね。それが分かっていれば当日券を買ってでも行ったのに。
 そんな中で、私が一番注目していたノリントン指揮のN響の演奏が、さっそくBSで放送になりました。「注目」というのは、このオーケストラが果たしてこの指揮者のやり方にどこまで付いていくのか、という興味です。ご存じのように、彼は、自分が音楽監督を務めるドイツのオーケストラでは、非常にユニークな演奏を団員に求めています。「ピュア」なサウンドを作るために、一切のビブラートを付けないようにさせているのです。それはもっぱら弦楽器奏者に対する要求なのですが、その徹底ぶりはものすごいもので、現代オーケストラでありながらまるでオリジナル楽器で演奏しているかのような禁欲的な響きを産み出しています。ただ、これはあくまで「自分の」オーケストラだからやれること、ここまで来るのにはさぞや時間がかかったのだろうと思われる、ちょっと普通の演奏家の生理からは遠くにあるものでした。ですから、客演で他のオーケストラにやってきたときにそれがどれだけ浸透できるか、そこにものすごく興味があったのです。
 この演奏会のメインは、モーツァルトの交響曲第39番。このような大きなオーケストラでこういう曲が最後に来るというプログラム自体が今ではかなり珍しくなっていますが、まずその編成に驚かされます。それは、ほとんどフル編成に近い弦楽器の数である上に、なんと木管楽器が指定の倍の人数、「倍管」になっているではありませんか。そう、例えばベームやカラヤンの大昔の映像などを見てみると、確かに倍管で演奏しているものを見かけることがあります。しかし、これはまだモーツァルトでさえもロマンティックな趣味で塗り固められていた時代の産物、「オーセンティック」な思想が浸透した現代においては、まず見られることはない形態なのです。
 この演奏に先だって、ノリントンはステージであるレクチャーを行っていました。彼の演奏のポリシーを述べたものなのですが、その中でこの編成に関しては「時には、普段の倍ぐらいのサイズの、怪物のような編成もあった」と述べていました。つまり、現代の大きなコンサートホールで演奏するときには、このぐらいのものも必要である、と。普通「倍管」で補強されたオーケストラでは、ピアノの部分ではもちろん管楽器をダブらせることはしませんが、弦楽器はそのままです。しかし、ここからが彼の最もユニークなところなのですが、彼はそこで弦楽器も減らしてしまうのです。この曲だと、第1楽章の序奏は全員で演奏しています。しかし、柔らかい第1主題では、弦楽器の一部の人が休んでいるのです。そして、フォルテの部分になったら、また全員で弾く、といった具合です。これは、現代の大きなオーケストラでモーツァルトを演奏するときの、一つの明確な解答に違いありません。
 そして、ノンビブラートは完全に徹底されていました。それによって本当に「ピュア」な響きが出たかどうかは疑問ですが、このオーケストラがここまで指揮者に従順になれたことの方が、驚きです。しかし、現代はこれほどまでの柔軟性も必要とされる時代なのでしょう。かつては「フランスもの」も「ドイツもの」もきちんと演奏できることが要求されたものです。それに加えて、「ピリオド・アプローチ」まで備えることが、もしかしたら今では当たり前になっているのでしょう。こういうことをやっているときのN響は、いつになく楽しんで演奏しているように見えます。フィナーレの最後のアコードで、ノリントンが半回転ターンをして客席を向くというパフォーマンスも、全く自然なものに見えるから不思議です。
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by jurassic_oyaji | 2006-11-11 23:01 | 禁断 | Comments(0)