おやぢの部屋2
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BACH/St Matthew Passion

Felicity Lott(Sop), Alfreda Hodgson(Alt)
Robert Tear, Neil Menkins(Ten)
John Shirley-Quirk, Stephen Roberts(Bas)
David Willcocks/
The Bach Choir, Thames Chamber Orchestra
DECCA/475 7987



1978年の録音、以前はASVから出ていたそうですが、今回DECCAからの再発になったアイテムです。録音スタッフはDECCAのクルーですから、これが本来の形なのでしょう。非常に珍しい英語による演奏ですから、珍品マニアにはたまらないものが、簡単に手に入るようになりました。ひとつ、どないでっか
いや、「珍品」などと言ってはいけないのかも知れません。そのあたりを指揮者のウィルコックスはライナーの中で「教会での宗教行事として聴くためには、誰でも意味の分かる英語が望ましい」と述べていますから、確固とした信念に基づいていることは明白です。さらに、当時はすでに市民権を得ていたオリジナル楽器に対しても、彼は批判的だったようで、「より美しさを表現できる」モダン楽器に寄せる信頼は揺るぎのないものでした。そして、合唱に関しても少年と男声だけによる小規模なものは「使えない」というスタンスのようです。
彼のその様な信念は、それから30年近く経った今となっては、なんの説得力も持っていないことは明らかです。少なくともワールドワイドのマーケットに向けたもので、「マタイ」をドイツ語以外で歌っているものは皆無ですし(個人的には、フランス語版などを聴いてみたいとは思いますが)、モダン楽器を使った大編成の演奏の方が、間違いなくマイナーなものとなっているのですから。
ここで歌っている合唱団は「バッハ合唱団」という団体です。おそらく、例えば「東淀川バッハ合唱団」とか「歌舞伎町バッハ合唱団」のように、頭に地名を冠したこのような名前の合唱団は夥しい数が存在しているのでしょうが、なにも付けないでもそのアイデンティティが主張できるのは、この団体が1世紀以上もの長い歴史を持つ、それこそイギリスでは最初にバッハを演奏するために作られたものであるためです(創設当時はヴァーグナーさえ存命でした)。ウィルコックスは、1960年から1998年までこの合唱団の8代目の指揮者を務めており、その間にブリテンの「戦争レクイエム」の初演などでも、大きな役割を果たしていました(日本初演では、ブリテンの代わりに彼が指揮を務めました)。現在ではデイヴィッド・ヒルがその後を任されており、CDのリリースこそ目立たなくなったものの、新作の初演なども含む堅実なコンサート活動を続けています。
ここで聴かれる「マタイ」は、ウィルコックスのこだわりが見事に反映されたものに仕上がっています。ケネス・ウィルキンソンとサイモン・イードンというDECCAのエンジニアによって捉えられた弦楽器やソロの管楽器の艶やかな音色に支えられ、そのサウンドはあくまで美しく輝かしいものです。ここで用いられている、エドワード・エルガーなどによって校訂されたノヴェロ版の指示なのか、ウィルコックスによる判断なのかは分かりませんが、本来ヴィオラ・ダ・ガンバがオブリガートを務めるはずの第2部の初めの頃のテノールのアリアは、それがチェロに置き換わっています。そこでは、オリジナルの持つ厳しさは影を潜め、何ともソフトな情感が漂うことになります。ただ、終わり近くのバスのアリアでは楽譜通りのヴィオラ・ダ・ガンバですから、見事な対比を見せてさらなる寂寞感をそそっています。
最も出番の多いエヴァンゲリスト役のティアーがちょっと力が入りすぎなのは、やはり感情を大事にしたかった指揮者の要望なのでしょうか。同じテノールでアリアを歌うジェンキンスの一途さも、捨てがたいものがあります。歌手陣で最も惹かれたのはなんと言ってもロットです。その伸びやかな訴えかけには、様式や言葉を超えたものがあります。
そして、肝心の合唱です。かなりの大人数、それ故の精度の低さはありますが、指揮者の思いを過不足なく伝える力には見るべきものがあります。特にコラールでの細やかな表現は見事、「言葉」に込める感情が、母国語であることでより身近なものになった、これは一つの成果なのかも知れません。ピラト役で、ポール・ヒリヤーの暖かいバリトンを聴くことも出来ますよ。
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by jurassic_oyaji | 2006-11-14 19:13 | 合唱 | Comments(0)