おやぢの部屋2
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YAMADA/Nagauta Symphony




湯浅卓雄/
東京都交響楽団
NAXOS/8.557971J



日本作曲界の草分け、山田耕筰のオーケストラ作品を集めたアルバムです。もちろん、全部彼が作ったものです(「盗作」ではないと)。山田耕筰と言えば、誰でも思い出すのが「赤とんぼ」、もしかしたら後世彼の代表作として残るのはこの「♪夕焼け小やけの~」という童謡しかないのではないか、とも思えるほどのヒット曲です。しかし、もちろん彼の本領は日本人としてはほとんど初めてともいえる実質的な長期のドイツ留学によって磨き上げられた「本場」ドイツの作曲技法を駆使した管弦楽曲やオペラだったはず、このアルバムによって、もしかしたらその様な正当な評価が一般的なものになるかも知れませんね。
ここでは全部で3曲の作品が、時代をさかのぼる形で収録されています。そこには制作者の緻密な配慮が感じられますが、これをあえて逆の順序、作られた時系列に従って聴くという作業を行ったとき、皮肉にも彼の音楽の本質的なものが見えてきたのは、興味のあることでした。
最も初期の作品が、留学から帰って間もない1916年に作られたダンス音楽「マグダラのマリア」です。これはもう、最初から最後までヴァーグナーとリヒャルト・シュトラウスに満ちあふれています。耕筰がドイツにいた頃にはそのシュトラウスがまさに現役で活躍していましたから、彼がもろにその音楽の影響を受けることになったのは、無理のないことでしょう。この曲は、あたかも「フックト・オン・シュトラウス」といった様相を呈することになるのです。「サロメ」の淫靡な和声、「アルプス」の壮大なオーケストレーション、「薔薇の騎士」の瀟洒なたたずまい、そして仕上げは「ツァラ」のファンファーレです。その間を縫って顔を出すのが、「ワルキューレ」や「神々の黄昏」、このサウンドは、まさに現代のオーディオルームを支配している重厚かつ華やかなオーケストラサウンドそのものではありませんか。それを助けるのが録音を担当しているEXTONのチームです。ちょっと貧弱気味な東京都交響楽団の木管もなんのその、そこからは芯のある腰の据わった見事なオーケストラの響きが広がってきます。このトラックは、オーディオのデモに使ったら効果は抜群と思えるほど、見事な録音、そして、音楽です。
その次の時期に作られた「明治頌歌」(1921)では、さすがにそんな、みえみえのシュトラウスのいいとこ取りは影を潜めています。それどころか、最初に聞こえてくる雅楽にヒントを得たであろう不思議な和声による弦楽器の響きには、ちょっと驚かされます。まるで「武満トーン」の先取りとも思えるその前衛的な音からは、確かに借り物ではない、自らの日本人としてのアイデンティティを追求する真摯な姿勢が感じられます。しばらくしてベタな五音階のテーマが聞こえてくるまでは。そう、いかにも神秘的に始まったこの曲も、これですっかり馬脚を現してしまうのです。それに続く脳天気なお祝いモードの音楽が、それに輪をかけるという段取りです。そして、そのあたりから、音楽はにわかに「国民楽派」へと変貌していきます。スメタナやドヴォルジャークがかつてのシュトラウスの座に取って代わったというのは、作曲家にとっての進歩なのでしょうか。終わり近くに登場する管楽器は、おそらく篳篥でしょう(いくら都響でも、オーボエではありません)。いとも唐突に鳴り響くその微妙なピッチこそは、日本固有のサウンドを追求したとされる作曲家の良心の表れに違いありません。
そして、アルバムの最初にあるのが、1934年に作られた「長唄交響曲」です。純邦楽である「長唄」を、その道の演奏家がそのまま歌い(もちろん、三味線や囃子ものと一緒に)、それに西洋音楽のオーケストラが絡むという、とんでもないコラボレーションです。ただ、「長唄」サイドには作曲家の手はなにも入っていないというのが、ちょっと歪んだ形のコラボレーションになってしまった元凶、ひたすらマイペースの「長唄」に擦り寄るオーケストラの、なんと卑屈なことでしょう。
ドイツで身につけた当時の「現代音楽」、それを日本古来のものと融合させようとした彼の試みは、「赤とんぼ」ほどの成功を収めることは果たしてあったのでしょうか。「耕筰の苦闘の軌跡」というコシマキのコピーに確かなリアリティを感じるのは、私だけではないはずです。
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by jurassic_oyaji | 2006-11-15 20:21 | 現代音楽 | Comments(0)