おやぢの部屋2
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ユレル
 もう、合唱団の合宿に行ってきてから1週間近く経ってしまいました。来年3月の演奏会へ向けての練習が東京と仙台で行われていたのが、このときに初めて全員が顔を合わせるという、一つのイベント、これがあることによって、仙台での人たちは演奏会の全体像がはっきり自覚できて、いよいよ本番へ向けての気持ちを新たにする、ということになります。
 もちろん、練習はまさに分刻みのスケジュールに沿ったハードなものなのですが、そこでは1年ぶりに顔を合わせた仲間が、旧交を温めるという場面がそこここで見られます。1日目の夜には、夕食の会場で懇親会が開かれ、全員が一堂に会して、演奏会へ向けての抱負や、昔の思い出話などに花が咲くことになります。
 そこでは、毎年恒例になってしまった出し物のようなものが演じられます。なんせ、メンバーは全員歌歌いですから、ネタには困りません。一応テーブルごとに何か、ということになっているのですが、その場で昔覚えた歌を見事なハーモニーで披露する、という場面が繰り広げられます。そのテーブルだけではパートが足らないときには、適宜よそから借りてきて、などというほほえましいケースも。
 ところが、私たちのテーブルで「何をやろうか?」という話になったときに、誰もアイディアが出ていなかったのに気づきました。積極的にやりたいという声が、何もなかったのです。と、私の1年下の学年の男が、「ここに『ユレル』の作曲者がいるじゃない」と言い出しました。その曲、私が現役の時には、団内でかなり人気のあったもの、例えば、定期演奏会で「みんなで歌いましょう」などというコーナーがあれば(実際に、こういうシング・アウトをやっていたのですよ)そこでお客さんと一緒に歌ったり、大学祭(学園祭、ですか)でのサークルの出し物「歌声喫茶」では、しっかりレパートリーに取り入れたりと、私の前後の年代にはかなり懐かしい曲なのです。それをこのテーブルで歌おうとしたのですが、もちろん知らない人もいます。そこで、その男は紙にフリーハンドで五線を書き始めました。4段の五線紙が出来上がると、彼は私に「○○さん、楽譜書いて」と渡してよこしました。そう、この曲の「作曲者」というのは、実は私だったのです。もう何十年も忘れていたものなのに、音符はスラスラと出てきました。そこで出来上がったのが、この楽譜です(詞はやなせたかし)。
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 これをコピーしてきて、テーブルのメンバーに渡し、伴奏はこの合唱団の指揮者が、この楽譜で即興的に弾いてくれました。そして、そこにいた100人の人が、全員で私の作った歌を歌ったのです。正直、私自身でも忘れていたような曲をまだおぼえていてくれて、こんなところで歌ってみようとした人がいたなんて、ちょっと感激モノでしたよ。これだけの時を超えてもまだ忘れられないでいた歌、ということは、私の作った曲はすでに歴史のふるいにかけられて「名曲」としての命を持ち始めている、と思うのは、もちろん常軌を逸した自己満足に過ぎません。
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by jurassic_oyaji | 2006-11-24 20:40 | 禁断 | Comments(0)