おやぢの部屋2
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MOZART/Die Zauberflöte




Christian Gerhaher(Papageno), Paul Groves(Tamino)
Genia Kühmeier(Pamina), Diana Damrau(K. d. N.)
René Pape(Sarastro), Irena Bespalovaite(Papagena)
Pierre Audi(Dir)
Riccardo Muti/
Wiener Philharmoniker
DECCA/00440 074 3159(DVD)



今年、モーツァルト・イヤーの最大の収穫、ザルツブルク音楽祭で行われた全てのオペラ作品の上演の模様が、DVDとなってボックスセットで一挙にリリースされました。現代のモーツァルト上演の最前線、全ての作品についての「おやぢ」など、果たして可能なのでしょうか。
まずは、なんと言っても「魔笛」です。偶然にも、これは先日の「指環」とおなじピエール・アウディの演出、あのプロダクションのネーデルランド・オペラとの共同制作となっています。
おそらく今が「旬」に違いないアウディに、ここでは田中泯が振り付けでコラボレーションを展開しているのが注目されます。「魔笛」には別にダンスシーンなどはないのですが、ここではきちんと「ダンサー」の名前がクレジットされていて、アウディの演出の確かなアクセントとなっているのです。最初に登場するダンスは、「鳥刺し」パパゲーノの登場シーン、第1幕に共通した趣味は、いかにも安っぽいけばけばしさなのですが、そんなポップ(サイケ?)な「車」に乗って現れるときに、そのまわりには「鳥」に扮したダンサーたちが取り囲んでいます。その、まるで能の動きを取り入れたような「振り」は、この幕を支配するおもちゃ箱のような雰囲気と、見事な調和を見せています。
後半になってザラストロが登場する場面では、なんと、あの歌舞伎のキャラクター「鏡獅子」そっくりのダンサーが現れて、あの長い白髪を振り乱し、不思議な緊張感をもたらします。それは、第2幕になると一転してスタティックな舞台に変わってしまうことへの前触れのように見えます。そう、ここでの演出のプランは、第1幕と第2幕でガラリとその世界が変わってしまうことを狙っていたのではないでしょうか。それは、もちろん、シカネーダーの台本の描く世界が途中で逆転していることへの、明確な回答に他なりません。張りぼてだらけのセット、チープそのものの原色の情景だった幕開きが、大詰めには極限まで抽象化された引き締まった舞台に変貌するなど、誰が想像できたことでしょう。
そんなプランを支えているのが、ダムラウの演じる夜の女王の、ちょっと今までのものでは見られないような圧倒的な存在感です。ほんと、いかにも際物のようなケバい衣装とメークで、ちょっと出てきては超絶技巧のコロラトゥーラで観客を煙に巻いて引っ込んでしまうという印象の強いこの役に、アウディは徹底して人間的なキャラクターを与えました。そもそもダムラウのメークは細かい情感をその表情でしっかり演じることが出来るようにこれ以上ないほど控えめになっています。第1幕のアリア、なんと前半では、この気位の高い女王がタミーノにすり寄って(「寄るの女王」)、「娘を助けて下さい」と懇願しているではありませんか。第2幕の例のアリアの前の「この剣でザラストロを殺せ」というパミーノとのやりとりも、単なる「段取り」ではなく、必然性の感じられる鬼気迫る「演技」になっています。そして、大抵の演出では最後の大円団の前に雷に打たれていつの間にかいなくなってしまう彼女が、ここでは最後の最後まで舞台に残って、その存在の意味を主張しているのです。最後のシーン、真ん中の群衆を挟んで上手にはザラストロ、そして下手には彼女が立ちつくしているのは、この物語の二面性をお互いに強調しあっているという意思の表れなのではないでしょうか。その時のステージ上のセットは、見事にその「光」と「闇」を表現しています。
ムーティとウィーン・フィルという、最近のモーツァルトの流れからはいかにもおっとりとした印象を与えられるコンビは、この変わり身の速い舞台上の展開に、乗り遅れることはなかったのでしょうか。ちなみに、パパゲーノの歌の伴奏にはグロッケンシュピールが使われていますが、これはヤマハがこの前の年のプロダクションのために開発した新しい楽器なのだそうです。いかにも洗練されたグロッケン(「カリヨン」と呼ばれています)の音色、おっとり感はこんなところからも募ります。
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by jurassic_oyaji | 2006-12-07 19:55 | オペラ | Comments(0)