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PENDERECKI/Symphony No.7 'Seven Gates of Jurusalem'
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Soloists, Narrator
Antoni Wit/
Warsaw National Philharmonic Choir and Orchestra
NAXOS/8.557766



さる指揮者がアマチュアのオーケストラの指揮をしたときに、ちょっと新しめの曲の話をして、「でも、ペンデレツキみたいなわけの分からないものではありません」と言っていたことがあったそうです。プロの音楽家の間でも、いまだに「ペンデレツキ=難しいゲンダイオンガク」という意識が浸透しているほどに、彼のかつての作品はインパクトのあるものだったのですね。そんな、ある時期に確かに存在していたはずの「ペンデレツキ・ブランド」をかなぐり捨てて、今や世界中からの委嘱作品の応対にいとまのない、人気作曲家の姿も、世の流れなのかもしれません。
現時点で8つの交響曲を手がけているペンデレツキの、7番目の「交響曲」は、殆ど「オラトリオ」と言ってもいいような体裁を持っています。最新の交響曲第8番(2005年)も「無常の歌」というサブタイトルの(あ、作曲料は取らなかったそうです・・・それは「無料の歌」)、やはり声楽を伴う曲ですから、彼の中ではもはやその様なものが「交響曲」という範疇に入っているのでしょう。1996年に作られたこの交響曲第7番は、「イェルサレムの7つの門」というタイトル、ソリストに大きな合唱、そしてナレーターまで入った編成です。楽章の数も「7つ」というように、「7」という数字にこだわった曲なのですが、実はその前に出来ているはずだった「交響曲第6番」は、いまだに作曲の途中なのだそうです。したがって、今までに完成した彼の交響曲は全部で7曲ということになります。
低音のうごめくようなサウンドで始まるこの交響曲、そのあたりのモチーフは「ルカ受難曲」の中の「スターバト・マーテル」によく似た、暗い情感を醸し出すものです。しかし、それがごく当たり前の処理で、ほとんど映画音楽のような壮大な景色へと変わっていくのが、今のこの作曲家の姿なのです。ですから、ここは思い切り気持ちを切り替えて、ジョン・ウィリアムスに対抗できるほどのエンタテインメントを、この曲から味わおうではありませんか。そうなってくれば、ヴィットの目の覚めるような切れ味のある指揮から、最大限に発揮された魅力を与えられるはずです。
そんな醍醐味がストレートに味わえるのが、第5曲目でしょう。「スケルツォ楽章」と位置づけられているこの曲は、まさに型通り、リズミカルな部分が最初と最後にあって、その間にリリカルな部分がはさまるというものです。そのリズミカルな部分で大活躍しているのが、「チューバフォン」という「楽器」です。「ブヮン、ブヮン」とまるでシンセのように聞こえてくる特異な音は、かなり目立つものです。実は、この曲を作曲者自身が指揮をしているDVDがあるのですが、それでこの「楽器」の正体を見ることが出来ます。なんのことはない、それは太い塩ビのパイプ(水道管でしょうか)を束ねただけのもの、それの端を大きなスリッパのようなもので叩くと、パイプの中で共鳴してぶっとい低音が出る、というものだったのです。
「交響曲」とは言うものの、第3曲は有名な詩編130番、「De profundis」をテキストにした無伴奏の合唱曲になっています。半音進行が多いものの、基本的には心地よいハーモニーに支配されたとても美しい曲です。
第6曲でナレーターが登場し、ヘブライ語のテキストを朗々と読み上げるあたりが、ちょっと「前衛」っぽいところでしょうか。もはや、彼自身の過去の技法をも、ひとつのアクセントとして取り込んでいこうという、これは開き直りのあらわれなのかもしれません。こんなセルフパロディの中に、彼の昔の作品に対する距離感を感じるのは、ちょっと寂しい気もしますが。
そんな聴き手の感傷は置き去りにして、最後の第7曲で、まるでロシア正教の聖歌のようなものが壮大に歌われる中、唐突に長三和音で終結を迎える、「7つの門」なのでした。
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by jurassic_oyaji | 2007-01-05 21:47 | オーケストラ | Comments(0)