おやぢの部屋2
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BRUCKNER/Symphonie Nr.5
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Sergiu Celibidache/
Münchner Philharmoniker
ALTUS/ALT138/9



チェリビダッケがさまざまな機会に述べたものを集めた本が最近出版されて、大きな話題を呼んでいます。そこで紹介されている、特に同業者に対する辛辣なコメントには、思わずのけぞってしまいます。我々が大指揮者だと信じて疑わない人に対して、「音楽がない」やら「まるで子供」だのと言いきっているのですからね。言われた本人にしてみればたまったものではありませんが、そこまで言い切ることが出来るところに、普通の人は凄さを感じてしまうことでしょう。真の芸術家なのだから、このぐらい自意識が強いのは当たり前、その裏付けとなった音楽観にはひたすら敬服する他はありません。もっとも、見方を変えればただの偏屈ジジイに過ぎないと言えなくもないのですが。
いずれにしても、そこまで言うのなら、自分の演奏はどれほどのものかと誰しもが思ってしまうことでしょう。そんなすごいものなのなら、いっちょう聴いてやろうじゃないか、と。ところが、彼は自分の音楽は「生」でしか聴かせない、というポリシーを貫き通しました。そもそも「録音」というものを通して音楽を聴くことを否定し、その様な方法で音楽を伝えている同業者をこっぴどくこき下ろし続けたのです。
ですから、彼の演奏を、こんなCDで聴いたりしたら、その「聴衆」もこっぴどく罵られてしまうことでしょうね。しかし、もはや「生」の演奏を伝えるすべを失ったこの指揮者は、遺族によって無制限に垂れ流されている「録音」の流通を阻止することすらままなりません。もちろん、「録画」もですが(テレビだっけ?)。そんな中で、このような「秘蔵音源」がまたまた市場を賑わすこととなったのです。
これは、198610月、出来たばかりの日本で最初の本格的なコンサートホール、サントリーホールで行われた演奏会のライブ録音です。当時のFM東京が放送用に録音する許可を得てマイクをセット、リハーサルも終わったところでいきなり「録音はやめてくれ」という申し出があったにもかかわらず、したたかなスタッフが無断で録音を行った、という、極めてイリーガルな素性のものなのです。当然、それが放送されて公の耳に届くことはありませんでしたから、なぜか20年も経って出てきた時には、とびっきりの「秘蔵」っこになっていたわけです。
このコンサートの写真がジャケットに使われていますが、それを見ると木管楽器の編成がかなり奇妙なことに気付かされます。このような大編成の曲ですから、当然木管は人員を倍増させた「倍管」となっています。スコアはそれぞれ2人ずつの2管編成ですから、4人ずつということですね。ところが、なぜかフルートだけは6人いるのです。しかも、場所の関係でしょうか、1列に並ばないでアシのアシの2人がなんと2列目、クラリネットの隣りに座っているのです。これはもちろん、チェリビダッケの指示に違いありません。木管セクションの中にあって、フルートだけはリードを持たないために音量は小さめ、それが分かっていて、マーラーやチャイコフスキーのように最初からフルートを重ねてスコアを作る作曲家もいます。もちろん、卓越した耳を持つチェリビダッケですから、ブルックナーにおいてもその様な補強を施したのでしょう。
しかし、それはあくまでトゥッティの場合です。ソロではもちろん一人で吹いています。ところが、それがこの録音では全く聞こえてこないのです。第1楽章の序奏が終わって、ヴァイオリンのトレモロに乗ってヴィオラとチェロで奏されるアレグロの第1主題の最後の部分をフルートが繰り返すのですが、それが殆ど「気配」程度にしか聞こえてこないのですよ。こんなアンバランスな聞こえ方は、おそらく「録音」だからなのでしょう。サントリーホールの中では、きちんと指揮者が作った通りのバランスで聞こえていたに違いありません。こんなところが、彼が「録音」を認めなかった一つの原因なのかもしれない、と、このいかにもメリハリのない放送録音を聴くと感じてしまいます。
サウンドを気にしないで聴いていると、これは継続した流れが一瞬たりとも途切れることのない、緊張感にあふれるものすごい演奏であることが分かります。しかし、本当の凄さは、やはりそこで聴いていた人でないと決して分からないものなのでしょうね。
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by jurassic_oyaji | 2007-01-18 19:41 | オーケストラ | Comments(0)