おやぢの部屋2
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MOZART/La Clemenza di Tito
c0039487_23382196.jpgMichael Schade(Tito)
Vesselina Kasarova(Sesto)
Drothea Röschmann(Vitellia)
Elina Garanca(Annio)
Barbara Bonney(Servilia)
Martin Kusej(Dir)
Nikolaus Harnoncourt/
Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor
Wiener Philharmoiker
TDK/DVWW-OPCLETI-DG(DVD)



モーツァルト最後のオペラ、当然「M22」DVDボックスの最後を飾るべきラインナップとなるはずのものでしたが、ある種「大人の事情」により、モーツァルト・イヤーの2006年にザルツブルクで行われた公演はここには収録されることはありませんでした。もちろん、公演そのものは8月16日にプレミエを迎え、19日、21日と何ごともなく幕が開くのですが、残りの23日、26日、29日の公演を、突然アーノンクールがキャンセルしてしまったのです。その日の分を代わりに指揮したのはクリストファー・モウルズという、誰も知らないイギリスの指揮者だったと言いますから、アーノンクール目当てにチケットを買った人はがっかりしたことでしょうね。
プレミアの模様はテレビで生中継されていますから、それをDVDにすればよいのでは、とは誰しもが思うところでしょう。しかし、1回の公演だけでは「商品」としての傷の少ないものは得られなかったのでしょう。その代わりということで、ここで用いられたのが2003年にやはりザルツブルクで行われた同じプロダクションの映像です。もちろん、これはすでにTDKからリリースされているものですが、背に腹は代えられないというところでしょうか、このユニバーサルのセットに表のカバーだけを差し替えて加えられることになってしまったのです。ですから、中を開けるとこれだけブックレットやディスク印刷のデザインが他のものと違っています。品番もなにか投げやり。「opera」「clemenza」「Tito」の頭をつなげて、最後に「DG」が付くなんて。
会場はフェルゼンライトシューレ、あのフルトヴェングラーの「ドン・ジョヴァンニ」と言うよりは、映画版「サウンド・オブ・ミュージック」のコンテストの会場として使われた、岩肌の回廊をそのままステージにしたというとんでもないオペラハウスです。その回廊をどのように使うかというのが演出家の腕の見せ所となるわけで、興味は尽きません。その回廊をさらに張り出した形で、3階建ての集合住宅の断面のようになったセットの中で、マルティン・クシェイのドラマは繰り広げられます。ただでさえ広すぎるこのステージ、真新しいそのピカピカの住宅の中を、キャストは上ったり降りたり走り回ったりと大変です。しかもヴィッテリアあたりはその場の気分で下着姿になって着替えを始めたりしますから、レシュマンの豊満な胸が激しい運動で波打つのを楽しむことが出来ます。いや、元々自分に惚れている男を使ってモトカレを殺させようとするのですから、この役にはこのぐらいの異常さがないことにはその性格は伝えられないのかもしれません。そして、その上にそのモトカレ、ティートの役柄に対して大幅な読みかえがなされているものですから、このドラマはとことん息苦しいものになりました。シャーデが演じるこの皇帝は登場した瞬間から極めてエキセントリックな性格であることが分かります。そんな人が、そもそも友人のセストやヴィッテリアを「慈悲」をもって許せるわけがない、というところから、演出家は物語を再構築しようとしたのでしょう。
そんな、およそ楽しくなさそうな世界を盛り上げる(盛り下げる)のに、アーノンクールの音楽ほどふさわしいものはありません。中でも第2幕、焼けただれて廃墟となったセット(この転換には驚かされます)でのこの人は、まさに水を得た魚、とことん重苦しい音楽を提供してくれています。19番のセストのアリア「Deh per questo istante solo」などは、とてもモーツァルトとは思えないほどのどんよりとしたテイスト、その意を汲んだカサロヴァの歌は、まさに絶品です。
この演出では、群衆が重要な役割を果たしています。フィナーレで「3階」に住んでいる家族が、それぞれ食卓に子供を裸にして横たえるのはどういう意味なのか、正直その真意は理解しかねるのですが、なにかただごとではない迫力は伝わってきます。その時に歌われる合唱が、オペラにはあるまじき充実感をもった素晴らしいものであることにも、驚かされます。
キャストが2人(アンニオとセルヴィリア)代わっている他は、2006年のものと同じ内容だということですから、ここに交ざっても何の問題もないのでしょうが、演出などというものは生き物ですから、やはり最新の練り上げられたものを見てみたかった、という思いは残ります。日本のメーカーの「製品」であるにも関わらず、他のものと合わせて字幕に日本語が入っていないというのも納得できません。もちろん納豆では痩せません。
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by jurassic_oyaji | 2007-01-30 23:39 | オペラ | Comments(0)