おやぢの部屋2
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MOZART/Requiem(Ed. Beyer)
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Jutta Böhnert(Sop), Susanne Krumbiegel(Alt)
Martin Petzold(Ten), Gotthold Schwarz(Bas)
Georg Christoph Biller/
Thomanerchor Leipzig
Gewandhausorchester
RONDEAU/ROP4019



2006年1月のライブ録音ですから、バイヤー版としては最も新しいものになります。この年の1月と言えば、当然「お誕生日」である「27日」に演奏されたのでは、と誰でも思ってしまいます。しかし、実際は微妙に異なる「21日」でした。もしかしたら、「しち」と「いち」を間違えたのではないでしょうか(「いち字違い」って)。
録音されたのは、バッハゆかりのライプチヒ・聖トマス教会、ここでモーツァルトというのがちょっとユニークなところかもしれません。広い空間を感じさせるたっぷりとした残響が、とても心地よく感じられます。それが過度にモワモワしたものではなく、音の芯がくっきり捉えられているのが素敵なところです。ソリストの定位もはっきりしていますから、かなりオンマイクで録られているのでしょう、明晰さと雰囲気を兼ね備えた素晴らしい録音です。「ライブ」といっても、聴衆によるノイズが殆ど聞こえきませんから、スタジオ録音と変わらないクオリティを持っています。
フランツ・バイヤーの校訂によるモーツァルトのレクイエムは、出版されたのが1971年ですから、もう30年以上の「実績」を持っていることになります。何のかんのと言ってみても、現時点ではジュスマイヤー版に次ぐ演奏頻度を誇っており、このあたりが「版レース」の到達点なのかもしれませんね。長く親しまれたものは決して変えないで、問題のある部分だけさりげなく入れ替える、そんな謙虚さの勝利でしょうか。
そのバイヤー版の最初の録音の時にも、やはり今回と同じように少年合唱が使われていました(テルツ少年合唱団)。それは、オーケストラ(コレギウム・アウレウム)のレベルともどもとても今の聴衆の鑑賞に堪えられるものではありませんでした。その録音によって、この曲は決して少年合唱の演奏では聴くべきではないと刷り込まれてしまった人も多かったに違いありません。しかし、今回のトマス教会合唱団の少年達は、そんなトラウマも払拭してくれるほどの見事な演奏を聴かせてくれています。それをなし得たのは、一つには圧倒的な人数の多さでしょうか。少年ソプラノ、少年アルトのパートは合わせると40人近く、これだけ揃っていればこのパートに付き物の弱々しさは克服できるはずです。
そうは言っても、やはり少年特有のちょっと曖昧なイントネーションはついてまわります。「Kyrie」の二重フーガなど、音楽としての不満は全く感じられないにもかかわらず、ほんのちょっとしたところで見えてくる「拙さ」のようなものが、やはり気にはなってしまうのです。しかし、これがライブの力でしょうか、そんな頼りなさも曲が進んでいくうちに徐々に消えていくのが良く分かります。そして、それに入れ替わるようにして現れてくるものは、大人の合唱からは決して聴くことの出来ないひたむきな「力」だったのです。「Sanctus」あたりの何というストレートな力強さ。汚れていない心を持っているからこそ伝えることの出来る一途な訴えかけ、これは感動的です。
ハンス・ヨアヒム・ロッチュの後を継いで1992年にトマス教会のカントルに就任したビラーは、そんな少年達の力を信じ切った大きな流れの音楽を作ってくれました。これは、同じバイヤー版からゴツゴツとした醜いものを引き出した某カリスマ指揮者からは望むべくもない魅力です。やはり音楽は美しい方が良いに決まってます。
もう一つの収穫は、ソプラノのベーネルト。「Kyrie」で最初に彼女の声が聞こえてきた時には合唱団員が歌っているのかと思ってしまったほどの、澄みきった無垢な声は、久しくこの曲の録音からは聴くことの出来ないものでした。彼女はオペラでもキャリアを築いているそうですが、こんな声のスザンナはさぞ魅力的なことでしょう。いくら「花の乙女」でも、ヴァーグナーはちょっとやめてほしい気はしますが。
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by jurassic_oyaji | 2007-02-16 00:13 | 合唱 | Comments(0)