おやぢの部屋2
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Composition No.6 for Male Chorus
 きのうの「おやぢ」で取り上げた「オルフェイ・ドレンガー」ですが、曲目などの確認のために録画しておいたDVDを取り出してもう一度見直してみたら、なんと、間宮芳生の「コンポジション」を演奏しているではありませんか。前に見た時にはこの曲を実際に歌うことなど想像すらしていませんでしたから、あっさり聴き流して、記憶にも残っていなかったのですね。ほんのちょっとした経験で、あることについての関心が全く変わってしまうということの、まさに実例と言えるでしょう。
 今では、しっかりこの曲を練習していますから、隅々までよく知っているようになっています。そうなると、冷静にこの演奏を聴くことが出来ます。まず、なによりも「うまい」のには驚かされます。我々はこの曲、本当に苦労していました。特に難しいのがリズム、というか、各声部のタイミング。楽器だったら、リズムさえつかんでいればすぐ音を出すことは出来ますから、そんなに難しいことではないのですが、合唱の場合は「音を出す」というのが、まず大変なのですよ。絶対音を持っていない限り、なにもないところから正しいピッチの音を出す、というのはまず不可能です。ですから、前の音をおぼえていて、それから何度の音程ということで、次の音を出すことになります。この曲の場合は、その音程がとても厄介、その上、変則的なリズムで入らなければなりませんから、休んでいる間にその音を確かめていたりすると、もう次の入りが分からなくなってしまいます。
 そんな難しいことを、彼らは本当に簡単にやってのけているのですよ。それはまさに、楽譜の細部まできちんと音として完璧に再現しているという、ほぼ奇跡的な演奏でした。「クラシック音楽は、楽譜を介在して成り立っている音楽」という定義を素直に受け取る限り、それは全く理想的な姿のように見えます。
 ところが、そんな完璧さとは裏腹に、その演奏にはなにか違和感がついてまわったのも事実です。この「コンポジション」という一連の作品は、素材として日本の民謡やわらべうた、声明といったものを使って、それを高次元の合唱曲として再構築したものです。元の日本のメロディは、装飾音やグリッサンドを駆使したとてつもなく細かい記譜法で「楽譜」として書き記されています。それを忠実に「音」にすることさえ出来れば、そこからは元の民謡などが持っていた雰囲気を感じ取ることは出来るはずです。ところが、このスウェーデンの「世界一」とも言われる男声合唱団の演奏からは、その様な「日本」の要素がほとんど伝わってこなかったのです。そこから聞こえてきたものは、確かに西洋音楽が持っていた語法とは隔たった世界ではあっても、特に特定の国を意識させられることはない、もっとグローバルな音楽の姿だったのです。同じ音符から私たちだったらもっと別なものが感じられて、それが全く別の表現になるのだろうな、という感慨が、その「違和感」の原因だったのでしょう。
 今クラシックの世界で使われている西洋音楽の記譜法は、確かに優れたものではありますが、こと民謡のようなものに関しては楽譜にすることによって抜け落ちてしまう情報も少なくはないはずです。間宮さんはそのあたりをどのように考えていたのか、聞いてみたいような気もします。
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by jurassic_oyaji | 2007-03-01 22:24 | 禁断 | Comments(0)