おやぢの部屋2
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MOZART/Ascanio in Alba
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Iris Kupke(Venere)
Sonia Prina(Ascanio)
Marie-Bell Sandis(Silvia)
Charles Reid(Aceste)
Diana Damrau(Fauno)
David Hermann(Dir)
Adam Fischer/
Chor und Orchester des Nationaltheaters Mannheim
DG/00440 073 4229(DVD)



モーツァルトが15歳の時にミラノで作った「Festa Teatrale(祝典劇)」という表題の付いた作品です。厳密に言えば「オペラ」ではなく、ある種の「ショー」のようなものなのでしょー
当時のミラノは、オーストリアの支配下にあり、そこを治めていた総督はウィーン宮廷のマリア・テレジアの三男、フェルディナント大公でした。その大公が結婚することになったので、結婚セレモニー用の曲を作るようにマリア・テレジアに依頼されて出来たものが、この「アルバのアスカーニョ」だったのです。ですから、お話の内容もヴェーネレ(ヴィーナス)の息子のアスカーニョが、まだ見ぬ花嫁であるヘラクレスの血縁にあたる妖精シルヴィアを探しに旅に出る、という他愛もないものです。それを賑やかな合唱や華やかなダンスで彩って、大いにお祝いモードを盛り上げようというものでした。
しかし、2006年という「現代」にこの曲をきちんと「作品」として上演するにあたって、弱冠28歳の演出家デイヴィッド・ヘルマンはそんな成り立ちとはきっぱり縁を切った、いさぎよい手を施しました。まず、物語としての流れをきちんと観客に伝えるために、いわば進行役としての語りのキャストを2人用意します。形式的には「オペラ・セリア」であるこのイタリア語の作品の中で、「旅人」と呼ばれるその2人はレシタティーヴォ・セッコの部分をドイツ語で語ってくれます。つまり、歌手の動きに合わせてセリフを読み上げるわけです。それだけではなく、もちろんイタリア語で歌われるアリアやレシタティーヴォ・アッコンパニャートの概要を、やはりドイツ語で解説してくれるのです。
さらに、その演出プランはおよそ「祝典」とはほど遠い、有り体に言えば美しくない仕上がりになっています。主人公のアスカーニョは、前頭部の禿げ上がったどう見ても「花婿」にはふさわしくない風貌、シルヴィアに「あなたは醜い」とまで言われてしまいますし。そのシルヴィアにしても東洋系の顔立ちのキャストのせいかもしれませんがただの田舎娘にしか見えない容姿が、なまじ妖精っぽいコスチュームに包まれているために、何とも下品な印象しか与えられません。
そして、男女とも同じカツラとパンダのようなメークの合唱の醜さが、そこに花を添えます。フェンシングのユニフォームみたいなものを着た彼らの「ダンス」は、まるでラジオ体操のよう、そのうち体を震わせて痙攣を起こしたようになってしまうのですから、いかに「祝典」からかけ離れたものであるかが分かります。
3Dメガネをかけると、床に描かれた図形が立体的に見える、という仕掛けも施されています。夢の中にさまよい込んだアスカーニョやシルヴィア、といった趣なのでしょうか。確かに現代でなければなし得ないアイディアには違いありません。だからどうだ、という気はしますが。
そんな正直意味不明のステージ、救いはアダム・フィッシャーの指揮がもたらす小気味よい音楽でしょうか。マンハイム国民劇場のオーケストラ、基本的にモダン楽器を使っていますが、ナチュラルホルンや皮製のティンパニなどが醸し出す粗野な音色は、的確な様式感となって現れています。
歌手たちはいずれも粒の小さい印象は免れません。主人公の2人のコロラトゥーラは悲惨なものですし、本来は僧侶、ここではなにやら猟師のような格好で登場するアチェステの人などは、終始オケとずれまくっています。そんな中で2度ばかり登場してアスカーニョに助言するという役回りのファウノ(牧神)を演じたダムラウだけは、相変わらずの存在感を見せつけてくれていました。
by jurassic_oyaji | 2007-03-02 20:02 | オペラ | Comments(0)