Roberto Saccá(Lucio Silla)
Annick Massis(Giunia)
Monica Bacelli(Cecilio)
Veronica Cangemi(Cinna)
Julia Kleiter(Celia)
Stefano Ferrari(Aufidio)
Jürgen Flimm(Dir)
Tomás Netopil/
Orchestra e Coro del Teatro La Fenice
DG/00440 073 4226(DVD)
「ルーチョ・シッラ」は、モーツァルトが
16歳の時にミラノで作られたオペラです。もちろん、イタリアで「オペラ」といえば「オペラ・セリア」のことですから、ここではバロック期から綿々と続くその様式で作られています。「神様」や「王様」をメインキャラとする真面目なお話というのが、その「様式」のウリですから、この台本も、ローマの独裁者シッラをタイトル・ロールに立てたもの、そもそもはちょっとあり得ないようなプロットが繰り広げられています。シッラはジューニアという人妻にちょっかいを出したいためだけに、その夫チェチーリオを追放してしまいますが、シッラをいつかは殺したいと思っている貴族のチンナの手引きで、チェチーリオは密かにローマに戻ってきます。シッラは妹のチェリアを使ってジューニアをなびかせようとしますが彼女は拒み続けます。そこに現れたのはチェチーリオ、夫婦の再会を喜んだのも束の間、シッラに投獄されてしまいます。ところが、次のシーンになると、多くの民衆の前でシーラは、この夫婦を許しただけではなく、自分を殺そうとしていたチンナとチェリアの結婚も認めてしまうのです。そんな心に広い人なんて、ほんとにいるのか
しっら。
もちろん、今回の演出を担当した鬼才ユルゲン・フリムは、そんなナンセンスは結末をそのままにしておくはずはありません。そもそもオリジナルの筋書きは、注文主に対するある種のおべっかが含まれたものなのですが、現代ではそんな機微は何の意味も持たないのは明らかです。したがって、彼は最後の最後にどんでん返しを見せることになります。というか、実はその方がまっとうなエンディングなのでしょうが、シッラがみんなを許すのはチンナが喉元にナイフを突きつけて強制したからだ、という設定に変えてしまったのです。そして、そのナイフを受け取った家臣のアウフィディオの手によって刺し殺されてしまう、とも。もちろん、そこに至るまでの伏線も抜かりはありません。ジューニアの衣服をはぎ取り(太股があらわに!)、力ずくでことを成し遂げようとするシッラはまるでけだもの、殺されて当然のように思えてしまいます。
モーツァルトの時代にも、バロック・オペラに登場したカストラートは存在していました。ここでもチェチーリオとチンナは本来はカストラートのための役を、メゾ・ソプラノが演じて華麗なコロラトゥーラを披露してくれています。中でもチンナ役のカンジェミは、その姿もりりしくて魅了されてしまいます。それも、ブロンドの髪を長く伸ばした、中性的な妖しい魅力、これはへたにショートカットで男っぽく迫るより数段美しいものでした。オペラ・セリアというのは、言ってみればそんな技巧の粋を尽くしたコロラトゥーラを堪能するもの、そういう意味でこの公演の女声たちは全員揃って素晴らしいものを聴かせてくれていました。男声でもアウフィディオ役のフェラーリが、力はないもののコロラトゥーラの処理は見事なものがありました。ただ、肝心のサッカが、何とも重たい声で精彩に欠けています。あるいは、こんなキャラだから、敢えてこのような結末をもってきたのかと勘ぐりたくなるほどの、冴えないものでした。
これはヴェネツィアのフェニーチェ劇場との共同プロダクションで、オケと合唱はフェニーチェから参加しています。そして、指揮が全くの新人、フィンランド人のネトピルです。とてもキレのよい指揮ぶりで、ピリオド・アプローチも取り入れているのでしょう、決して甘くならない表現が、見事にバロック・オペラとしての様式感を出しています。
フェルゼンライトシューレの広い空間を、ダンサーが踊りまわったり、合唱のメンバーが意味ありげに動き回るのが、ちょっと理解できないところがありますが、その全く時代を超えたファッションは不思議な魅力を振りまいているものでした。