おやぢの部屋2
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Die Neue Domäne für Oboe
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Heinz Holliger(Ob)
Camerata Bern
DENON/COCO-70863



今でこそ主流となった「デジタル録音」ですが、開発当初はひどいものだったそうですね(「デタラメ録音」)。そんな「デジタル録音」の先駆者として質、量ともに高いレベルにある数々の国内録音を行ってきたレコード会社コロムビアの「クレスト1000」シリーズは、そのアーカイヴが、オリジナルジャケットで、しかも安価に入手できるのですから、なんとも素晴らしい企画なのではないでしょうか。
今回取り上げたのは、その会社のデジタル録音の最初期のものであることがジャケットデザインからすぐ分かる、何とも懐かしいアイテムです。この、天才オーボエ奏者ハインツ・ホリガーのソロアルバムが日本で録音されたのは1974年、この時代のものがデジタルで残っていたということ自体が、殆ど奇跡です。そういえば、このジャケットのホリガーの写真もかなり奇跡。当時はまだ30代だったはずなのに、この九一分けはどうでしょう。
「オーボエのための新しい領域」というタイトルのこのアルバム、もちろん「新しい」というのは録音「当時」、1970年代での話です。その頃このオリジナルのLPを手にした時の「現代的」なものに対する、ある種衝撃的な印象は、今の時点の「現代」からはただの「思い出」にしか過ぎないものになっています。その間の音楽の世界で「歴史」のふるいにかけられたものは、ほとんど「懐かしさ」を伴うものに変わっていました。
1961年に作られたヴェレシュの「パッサカリア・コンチェルタンテ」などは、今聴き直してみるととても居心地のよいものに感じられます。主題こそ、「12音」を駆使した近寄りがたい佇まいですが、それに続く変奏は、この作曲家がバルトークの正当な後継者であることを如実に感じさせてくれるものです。ホリガーとカメラータ・ベルンの弦楽合奏が、その生き生きとしたリズムと、メランコリックな叙情性を、共に的確に表現していることが、その様に感じられた大きな要因であるに違いありません。
ペンデレツキの「カプリッチョ」は、語法的には「前衛」としてのこの作曲家の姿を今に伝えるものになっています。オーボエソロのとてつもない超絶技巧は、まさに目を見張るものがあります。しかし、ホリガー自身のライナーノーツ、そしてそれを訳した武田明倫の「注釈」によると、ホリガーがこの作曲家に寄せた思いにはかなり懐疑的なものがあることが分かります。先ほどのヴェレシュや、あのブーレーズの弟子としてセリエル音楽を極めたホリガーとしてはそれは当然の感慨、その技巧的な書法を単なる「効果」と決めつける姿勢は納得の出来るものです。おそらく、「当時」としては「人気作曲家」であった(もちろん、今でも別な意味での人気は衰えてはいません)ペンデレツキの作風をそこまで言い切るのは、かなり勇気のある行動だったはずです。「現代」の時点でのホリガーのペンデレツキ観を、もう一度聞いてみたいような気もしませんか?
後半には、オーボエ1本だけの曲が並びます。いずれもこの楽器の可能性をとことんひきだした画期的な作品ばかりですが、その中でも注目したいのはホリガー自身による作品です。「オーボエのための『多重音のためのスタディ』」というタイトル通り、一度に複数の音程の音を出すという特殊奏法を駆使した作品ですが、そこからは作曲者(=演奏者)が意図したものとは全く異なるものが聞こえてきたのには、何とも愉快な気持ちにさせられました。複雑な運指によって、思いもよらなかったような倍音を出し、それを基音と同時に鳴らすというこの奏法によって、数多くのオーボエの音が同時に1本の楽器から鳴り出した時、それはあたかもディストーションを加えられたギターの音の様に聞こえたのです。当時でしたらジミ・ヘンドリックスとか、今では「ヘヴィー・メタル」と呼ばれているロック・ギタリストが奏でる「ギンギン」のサウンドが、この「正統的」な作曲の教育も受けた九一分けのオーボエ奏者の手によって鳴り響いたのですよ。
30年以上前の録音を聴き直す時に感じた、「当時」とは全く異なる思い、これこそが「歴史」の重みなのでしょう。
by jurassic_oyaji | 2007-03-07 21:00 | 現代音楽 | Comments(0)