ちょっと前の新聞広告に「傑作コメディ」と書いてあったので、篠田節子の「百年の恋」(集英社文庫)を読んでみる気になりました。この作家、クラシック音楽を素材にした作品を沢山書いているのでそういうものはよく読んでいるのですが、それ以外のジャンルのものも、なかなか緻密な構成で読み応えがありますから、結構好きで機会があったら読むようにしています。しかし、正直言ってそのくそ真面目な描写がややうざったくかんじられることもあります。自分ではユーモアだと思って仕掛けている「くすぐり」が、見事に外れていることもありますし。ですから、本当に面白くて一気に読めてしまうものがある一方で、どうにも入り込みようのない取っつきにくいものがあるのも事実です。この間出た「コンタクト・ゾーン」(文春文庫)などはいかにも面白そうだったので、張り切って上下巻まとめて買ってきたのですが、上巻を読んでいる途中でどうにも話について行けなくなって、ギブアップしてしまいましたよ(あ、私には、この手のものをハードカバーで買うという習慣はありません)。
そんな篠田の「コメディ」が読めるというのが、この本を買ったきっかけです。お世辞にも「笑い」のセンスが良いとは言えない彼女が、一体どんな「コメディ」を書いたのか、それが興味の対象でした。
出だしは確かに意表をつく設定でした。売れないライターがインタビューに行った先の銀行でのエリート社員に一目惚れ、とても自分とは釣り合わない高嶺の花だと思っていたものが、トントン拍子につきあい始め、そのまま結婚してしまうというものです。しかし、いざ結婚して一緒に生活してみると、その女はとんでもないだらしなさの持ち主であることが分かってしまいます。部屋は散らかし放題、家事は全く行わないというおよそ「嫁」にはふさわしくない女だったのです。こういう成り行きですと、確かにコメディにはなるでしょう。実際、仕事が忙しいことを口実にして、休みの日はゴロゴロ寝てばかり、結婚したら一緒にヨーロッパへオペラを見に行くのは無理だとしても、せめて九州あたりの温泉にでも一緒に行きたいものだと思っていた男の何とも言えない絶望感は(そんなことまでは書かれてはいませんが)、格好のコメディの素材になるはずですから。
しかし、女が妊娠したというあたりから、物語は安っぽいソープオペラの様相を呈してきます。父親がもしかしたら自分ではないのかもしれない、という考えを男が抱くようになったのです。このあたりの描写にはなかなか引き込まれるものがあります。本気で、これはそんな裏切りの物語だと思ってしまうほどの筆致、それはそれで面白いのでしょうが、「コメディ」と断ってあることがかろうじてそんな救いようのない結末ではないはずだと思わせられる担保になっているのでしょう。
案の定、自分そっくりの女の子が生まれてきたことによって、男の疑惑はあっけなく氷解します。全ては自分の取り越し苦労だと悟るあたりに「コメディ」を感じて欲しいということなのでしょう。まあ、良くできた話ではありました。
この「小説」のもう一つの仕掛けが、他の作家が書いた「育児日記」をそのまま挿入したというものです。そこだけゴシック体で印刷してあって、それが分かるようになっています。その様にすることによってなんとしても盛り込みたいものがあることはよく分かりますが、ちょっとこれは本体とは全く異質、小説の方を「日記」に合わせてかなり強引にねじ曲げてあるのがありありと分かってしまいます。こんなものがない方がもっとスッキリと「コメディ」が仕上がったのではないか、という気はします。