Petersen, Doufexis(Sop), Vondung(Alt)
Odinius(Ten), Gerhaher, Selig(Bas)
Helmuth Rilling/
Gächinger Kantorei Stuttgart
Bach-Collegium Stuttgart
HÄNSSLER/SACD 98.274(hybrid SACD)
70年代、
80年代、
90年代にそれぞれこの曲を録音してきたリリンクは、
21世紀になってもお約束のように「ロ短調ミサ」の新録音を
お誕生させてくれました(もう一つ、
80年代の映像がDVDで出ています)。しかも、
2005年録音の今回のものはSACDとなっています。もっとも、レーベル面にはCDのロゴしかなかったり、「DSD」の表示もないので、ちょっと心配になってしまいますが。そういえば、ブックレットでもオーケストラのメンバー表からはホルン奏者の名前が抜けていました。
とりあえず手元には
1977年録音の
SONY盤と、
1999年録音の
HÄNSSLER盤があります。だいぶ前に
1999年盤を聴いた時には、その前のものに比べてテンポが大きく変わって、全く別の表現となっていたのに驚いたものですが、今回はその時のような衝撃はありませんでした。もはや
99年の時点でのスタイルがリリンクの中には確固としたものとなって築きあげられているのでしょう。それは、オリジナル楽器の演奏家たちのスタイルを、可能な限り彼の中に取り込もうという姿勢の現れだったのかもしれません。それが今回は、さらに説得力のともなったより自然な表現になっていることは誰しも感じられることではないでしょうか。
70歳を超えて、彼はモダン楽器によるバッハ表現の、彼なりの結論に達したのかもしれません。
そんなリリンクの哲学を、例えばフルート・ソロとしてバッハ・コレギウム・シュトゥットガルトに参加しているヘンリク・ヴィーゼの演奏の中に見いだすことも、難しいことではありません。それはテノールのアリア「
Benedictus」のオブリガートで聴くことが出来ます。モダン楽器の幅広い表現力は生かしながら、そこからトラヴェルソの持つ素朴なテイストとバロックのスタイルを極力引き出そうとしている姿勢は、彼の卓越した音色とテクニックをもって、見事に開花しています。
ただ、そこでアリアを歌っているオディニウスには、そこまでの志とスキルが伴っていなかったのが、惜しまれます。ヴィーゼのフルートに拮抗するためには、彼の声はあまりにも弱々しすぎました。
そんなちょっとした齟齬が、特に男声ソリストに対して感じられたのはなぜでしょう。リリンクは、どの録音でも楽譜では一人のソリストが歌うことになっているバスの2曲のアリアを、キャラクターによって別のソリストに歌わせていました。ここでも「
Groria」の最後から2番目、ホルンのオブリガートが付く「
Quoniam tu solus sanctus」では深い声のゼーリッヒを、「
Credo」の中の「
Et in Spiritum Sanctum」では明るめのゲルハーエルを起用しています。しかし、ゼーリッヒはその深さがただの重々しさにしか感じられませんし、ゲルハーエルに至っては全くリリンクの音楽にそぐわない様式感で、完全に浮いてしまっています。ほんと、この明るさはまるでオルフの「カルミナ・ブラーナ」の世界です。
しかし、女声のソロに関しては、そんな居心地の悪さは全く感じられません。特にアルトのフォンドゥンクの、格調高い存在感は聴きものです。決して威圧するのではない、静かな訴えかけが素敵です。
合唱に関しては、確かに表現は一段と精度の高いものになってはいます。しかし、合唱団としての能力は明らかに前回よりも劣っているのではないでしょうか。もっとも、高い能力が維持できないというのはこの合唱団の宿命のようなものなのかもしれません。カンタータ全集を録音し始めた頃の惨めな姿に比べれば、これでも十分高いレベルなのでしょう。