おやぢの部屋2
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BRAHMS/Ein Deutsches Requiem
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Drothea Röschmann(Sop)
Thomas Quasthoff(Bar)
Simon Rattle/
Rundfunkchor Berlin
Berliner Philharmoniker
EMI/365393 2



クラシック音楽のタイトルは、親しみを込めて短縮形の「ガクタイ用語」で呼び称されていることが多いものです。「レクイエム」関係ですと、後半に「レク」と付ければ、大概のものは通用することになっています。例えば、モーツァルトの場合は「モツレク」という、なにやら体が温まりそうな料理(それは「モツ鍋」)のような呼び方をされているのは、お馴染みのことでしょう。フォーレの場合だと「フォーレク」ですね。しかし、ヴェルディでは「ヴェルレク」ですが、ベルリオーズも「ベルレク」でしょうから、日本人が発音した場合には区別が付きません。くれぐれもお間違えのないように。もっとも、いくら「V」と「B」を区別したところで、そもそも外国の人に対してはこんな言い方は絶対通用しないはずですから、それは無駄な努力以外の何者でもありませんが。
このように、普通は「作曲家名の断片」+「レク」が、この短縮形のパターンなのですが、ブラームスが作った「ドイツ・レクイエム」の場合は、なぜか「ブラレク」と呼ばれることはなく、「ドツレク」と言うのが正しい作法だと世のクラシック達人は説いています。そんなものに「正しい」もなにもないのでしょうが、それが、この世界の「掟」なのです。しかし、この曲であえて「ドツ」、つまり「ドイツ」を前面に押し出したというのには、それなりの必然性は感じられるはずです。この曲が他のレクイエムと決定的に異なっているのは、テキストとしてラテン語の典礼文ではなく、ドイツ語訳の聖書からブラームス自身が編集したものが使われている点です。そのコンセプトをこの言い方は端的に現しています。何かと顰蹙ものの「短縮形」ですが、たまにはこんな隅に置けないものもあるのですね。「ドツレク」という、大阪弁のような語感の悪さはさておいて。
さて、この曲の最新のアルバムが、ラトルとベルリン・フィルという最強のメンバーによって録音されました。ここで注目すべきは合唱で参加しているベルリン放送合唱団です。以前、なかなか凝った構成のアルバムをご紹介したことがありますが、そこでは2001年にラトルと共にバーミンガムからベルリンへ移ってきたサイモン・ハルジーによって、この合唱団が格段のスケール・アップを果たしたことをまざまざと見せつけられたものでした。最近ではCOVIELLOというレーベルからドイツの現代作曲家の「合唱オペラ」(60609)や、イギリスとアメリカの作曲家のアルバム(40611)などを立て続けにリリースして、その柔軟なスタイルを知らしめてくれたばかりです。
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COV 60609

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COV 40611

それだけの多様性を持つ合唱団が、ここでは渋くブラームスに徹しているというあたりが、素晴らしいところです。特に女声が、およそ色気に乏しい暗めの音色で全体の雰囲気を支配していますから、ラトルのオーケストラが多少羽目を外してセクシーに迫ってもブラームスの「暗さ」が損なわれることはありません。そう、ここでのラトルは、そんな安定した合唱団に全幅の信頼を置いているかのように、オーケストラの方でさまざまなちょっと「あぶない」ことを楽しんでいるように見えます。1曲目のイントロでのビブラートたっぷりの弦楽器の艶めかしさといったらどうでしょう。暗めのフルート(ブラウでしょうね)はともかく、その他の木管、特にオーボエの煌びやかなこと。ラトルは合唱とオーケストラを、まるで2つのレイヤーのように互いに独立させながらも、巧みに前面に現れる割合をコントロールしてさまざまな景色を見せてくれました。
大オーケストラの中の合唱といえば、とかく大味になりがちですが、ここではブラームスが丁寧に作り上げた合唱パートがしっかりとした存在感をもって迫ってきています。普通のレクイエムでは「Dies irae」に相当する第6楽章での迫力は、まさにこの合唱団の今の力をフルに発揮してくれたものでしょう。もし、次の第7楽章に入った瞬間に聞こえてくる女声に、「力」ではなく「透明性」のようなものが宿っていたならば、とても忘れ得ぬ演奏になったことでしょう。あまりに深刻すぎるクヴァストホフともども、残念なところです。
録音がこんな平板なものではなく、もっと質感を再現してくれていれば、そんな不満も目立たなかったことでしょうに。
by jurassic_oyaji | 2007-03-15 20:45 | 合唱 | Comments(0)