Blagoj Nacoski(Scipione)
Louise Fribo(La Constanza)
Bernarda Bobro(La Fortuna)
Iain Paton(Publio)
Robert Sellier(Emilio)
Anna Kovalko(Soprano soli nella licenza)
Robin Ticciati/
Chor des Stadttheaters Klagenfurt
Kärntner Sinfonieorchester
DG/00440 073 4249(DVD)
「シピオーネの夢」は、そもそもCDですら2、3種類しか出ていないというレアなもの、それが映像で見られるというだけでも、このDVDは価値を持っています。それにしても、このクレジットに現れている名前のレアなこと、私が知っているものは一つとしてありませんでした。そもそもこれは「
M22」とは言っても「クラーゲンフルト歌劇場」との共同制作なのですが、その「クラーゲンフルト」からして分かりません。健康食品でしょうか(それは「
コラーゲン」)。調べてみるとこれはオーストリア南部、殆どスロヴェニアとの国境近くの町でした。そして、指揮者のロビン・ティツィアーティ。これも全く初めて聞く名前ですが、それもそのはず、
1983年生まれといいますから、まだ
20代の若者なのだそうです。
この作品、物語の基本は英雄シピオーネが富の女神フォルトゥーナと貞節の女神コンスタンツァのどちらを選ぶかを迫られるという、男にとっては大変おいしいお話です。そんな贅沢な悩みなど到底自分だけでは解決出来ずに、天上の祖先にアドヴァイスを求めるというのが、サブプロットになっています。元々は上役(というか、雇い主)のごますりのために作られた音楽劇、主人公のシピオーネをその上役に見立てておおいに盛り立てようというコンセプトで制作されたものです。もちろん、現代ではそんなものはなんの意味も持ちませんから、様々な読みかえを行って一つのドラマに仕立てるというのがお約束です。
そこで、このプロダクションが用意したのが、まるでアメリカのテレビドラマのような設定でした。2人の女神は、それぞれシピオーネの奥さん(すでに子供が2人!)と、愛人というもの、当然のことながら奥さん役は「貞節の女神」です。物語の中心はこの2人がシピオーネにアピールする姿となり、それが究極のリアリティをもって描かれています。つまり、直接的な「愛」の形、ベッドシーンが頻繁に登場して観客を喜ばせてくれるのです。9番の奥さんコンスタンツァのアリアなどは、その直前にダンナが愛人フォルトゥーナといちゃいちゃしている現場を見てしまった反動でしょうか、とことん積極的。シピオーネをベッドに押し倒して、ズボンのファスナーを開け、騎乗位でまたがりながら歌い出しましたよ。そのコロラトゥーラが激しいよがり声に聞こえてしまうのは当然のことでしょう。これは痛快。
エピローグでは、ちょっとしたどんでん返しが仕込まれています。本来はここでおべんちゃらの種明かしをして上役の徳をたたえるというアリアを歌うソプラノが、実は今までベビーシッターとして登場していた目立たない女性だったのです。ソリス家のメイドだったシャオ・メイが、代理出産することになってガブリエルと立場が逆転したようなものでしょうか(「デスパレートな妻たち」というドラマがネタです。見てない人、すみません)。さらに、次のコーラスが現れると、彼らはこちら向きに観客席に座っているというセット、この話全体が劇中劇だった、というオチになっているのです。確かに、これはハリウッドあたりでも使えそうな手の込んだプロットです。もちろん、いくら策を弄そうがそこからはなんの感銘も与えられないのは、テレビドラマと全く共通した薄っぺらさのせいでしょう。
歌手の中では、女神を演じたフリボとボブロが出色の出来でした。その安定したコロラトゥーラも見事ですが、それこそテレビドラマに出演してもおかしくない程の美貌は特筆ものです。ブロンドのフリボの下着姿と腰の使い方は、今でも目に焼き付いています。これで隠れ女神のコヴァルコの声にもっと張りがあれば、終幕での効果は抜群だったでしょうに。
それに比べると、男声陣は思わず笑いがこぼれてしまうようなお粗末さでした。車椅子で登場、最後はとうとう棺に入ってしまうという設定のプブリオなどは、そんな瀕死の役柄が歌に出てしまっているのですから、笑うに笑えません。
レベル的にかなり怪しいところのあるオーケストラをきっちりまとめていたティツィアーティくんは、これからも期待できそうです。