おやぢの部屋2
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MOZART/Mitridate, re di Ponto
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Richard Croft(Mitridate)
Netta Or(Aspesia)
Miah Persson(Sifare)
Bejun Mehta(Farnace)
Ingela Bohlin(Ismene)
Günter Krämer(Dir)
Marc Minkowski/
Les Musiciens du Louvre - Grenoble
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「ポントの王ミトリダーテ」は、モーツァルトが14歳の時に初めて作った「オペラ・セリア」です。お話は、ちょっとした寸劇を書かせたら右に出るものはいないという放送作家の物語(それは「コントの王」)ではなく、王である父親の婚約者と恋仲になった王子の苦悩の物語です。この頃に行われた第1回のイタリア旅行の、これは最大の成果と言えるものでしょう。ここには、モーツァルトがその地で学んだ「イタリアオペラ」の神髄が宿っています。それは、例えばヘンデルあたりのオペラと同じ様式、「伝統的」で「保守的」な、もっと言えば「過去」のスタイルです。ということは、技巧の粋を尽くしたダ・カーポ・アリアのてんこ盛り、最後にはとどめのカデンツァが付くというもの、聴き慣れたモーツァルトのオペラとはちょっと異なるスタイルです。そうなってくると、これはとりもなおさず今では「バロック・オペラ」と総称されているものを取り巻くある種のムーヴメントと同じものが、この作品を上演するにあたっても適用することが出来るはず、確かに、かつては冗長で退屈なものとされていたこの種のオペラを見事に現代に蘇らせたそんな動き、それがこのザルツブルクとブレーメンとの共同プロダクションでも綿々と脈打っていることが分かります。
それを演出サイドで成し遂げた功績は、ギュンター・クレーマーのユニークなステージ・プランでしょう。場面転換は全く行われず、固定された装置の中で物語が進行していくのですが、それは、ステージの上に45度の傾斜で設置された鏡で装置の裏側を反射させるというアイディアによって、不思議な空間を生み出しました。ジャケットに見えるのがそんなシーン。序曲の間にスロープがついているセットの背面を、モーツァルトの時代の扮装をした13人のアンサンブルが滑り降りていくところが、その「鏡」に映るとこのように見えるという見本です。このアンサンブルはシーンによって様々に衣装を変え、マスゲームのような動きをしますから、それを「上」から見た映像が観客には見えることになります。それは、あたかも「パラダン」で見せつけられたデジタル処理の映像を、手軽にアナログの道具で作り出したようなものなのでしょう。
そして、音楽的な功績は、もちろんミンコフスキによるものです。彼は幾分締まりのないこの作品を、ナンバーをカットしたり入れ替えたりすることによって見事に引き締まったものに変えてしまいました。それでも多少かったるい部分は残りますが、そんなものはこの作品をあくまで「バロック・オペラ」ととらえた彼の指揮とキャストの歌が生み出す生き生きとしたグルーヴの前では、殆ど気にならない程のものになってしまっています。中でも、本来カストラートによって歌われるシーファレとファルナーチェのナンバーは、声のブリリアンシーとオーケストラのブリリアンシーが見事にかみ合った、スリリングなまでの快感を生むものに仕上がっています。このロールを歌っているのがメゾのパーション(「ペルソン」という表記もあります)とカウンターテナーのメータなのですが、それぞれに持ち味を見せてくれていて楽しめます。声自体は甲乙付けがたいものがありますが、外見的にはやはりパーションの勝ち、カウンターテナーにはなぜ○ゲが多いのでしょう。
そんな中で、心ならずもアスパージアとの別れを告げるシーファレ(パーション)の歌う13番のアリア「Lungi da te, mio bene」は、「伝統」の殻を破った、モーツァルトにしか書けない甘美な世界を見せています。このアリアを通して、子供から大人に変わろうとしているモーツァルトの姿までをも、この演奏から感じ取ることは出来ないでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2007-04-05 20:25 | オペラ | Comments(0)