おやぢの部屋2
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MOZART/Betulia Liberata
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Jeremy Ovenden(Ozía)
Marijana Mijanovic(Giuditta)
Julia Kleiter(Amital)
Franz-Josef Selig(Achior)
Ireana Bespalovaite(Cabri)
Jennifer Johnston(Carmi)
Christoph Poppen/
Konzertvereinigung Wiener Staatsoper
Münchner Kammerorchester
DG/00440 073 4248(DVD)



「新モーツァルト全集」のカテゴリーによると、「オペラ」に分類されている作品は未完のものを含めても20曲しかありません。しかし、2006年のザルツブルク音楽祭での全「オペラ」上演プロジェクトのタイトルは「M22」、つまり「22曲」のオペラを一挙上演するという内容が込められているものでした。実はこの22曲のうちの2曲は、そもそもの「全集」では「宗教的声楽曲」として分類されているものなのです。しかし、それらは内容的には「オペラ」と見なしても差し支えないと判断され、ここに含まれるようになったのでしょう。
そのうちの一つ、「2部から成る宗教劇」というサブタイトルの付いた「救われたベトゥーリア」は、旧約聖書に描かれた物語をメタスタージョがイタリア語の台本として「脚色」したものです。6人のソロがきちんと役柄を演じながら、レシタティーヴォとアリアを交互に歌い合うというもので、演奏時間は2時間、形の上では間違いなく「オペラ」です。ただ、終曲で合唱が典礼風のナンバーを歌うというあたりが、「宗教劇」としてのアイデンティティなのでしょう。もちろんネイティヴ・アメリカンは出てきません(それは「酋長劇」)。
ストーリーは、アッシリアの軍によって包囲されたユダヤ人の町ベトゥーリアが、そこに住む美しい未亡人ジュディッタの働き(色仕掛けで敵の将軍の首をはねてしまいます。なんと恐ろしい)によって、救われるというもの、もちろんそれを可能にしたエホバの神を賛美することも忘れてはいません。そんな「ドラマティック」なお話ですから、もちろん才能のある演出家の手によって、まさに「オペラ」として上演することも可能だったのでしょう。しかし、今回は敢えてコンサート形式で、この非常に珍しい曲の上演をとりあえず人々に知らしめる、といった考えだったのでしょうか。確かに、陳腐な「読みかえ」で音楽が台無しになってしまうよりは、こうして珍しい曲を淡々と味わえる方が、幸せなことなのかもしれません。
会場はお馴染みフェルゼンライトシューレです。ジャケットにあるのがなんのセットも組まれていない、元々の岩肌のステージです。この演奏会が行われたのが8月の18日だったのですが、その頃はこの会場では例の「ティートの慈悲」が上演されていました。アーノンクールが途中でコケてしまったため、「M22」のDVDには別の年のものが収録されてしまったという、いわく付きのものです。ですから、この演奏会はその「ティート」のセットが組まれているままのステージで行われています。この映像ではステージ全体を収めたアングルというのが殆ど登場しないので良く分からないのですが、「ティート」の映像を見た人ならば、このオーケストラと合唱は巨大な櫓が組まれた真ん中の狭い空間に収まっているということが分かるはずです。
映像ならではの楽しみは、オケの楽器編成です。木管はオーボエとファゴットしかいないのが分かりますが、なぜかフルートがホルンの前に遠慮がちに座っているのが気になります。このフルート、出番は第1部の中の5番のジュディッタの最初のアリアだけ、彼女の気高さを現すような柔らかいオブリガートが印象的です。しかし、第2部にはもはや出番はありませんから、休憩後にはいなくなっています。もちろん、このアリアでオーボエの出番がないことから分かる通り、モーツァルトの時代にはオーボエ奏者が楽器を持ち替えて演奏していたはずです。
ポッペンによって見事に日の目を見た、作曲者が15歳の時のこの堂々たる作品ですが、肝心のジュディッタ役のミヤノヴィッチが、彼女の芸風なのでしょうか、あまりにも役に埋没してしまったために、その音楽的なメッセージが素直には伝わってこない、という重大な欠陥を抱えることになってしまいました。それによってこの曲が嫌いになる人がいなければいいのですが。
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by jurassic_oyaji | 2007-04-13 20:26 | オペラ | Comments(0)