おやぢの部屋2
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MOZART/22 Operas
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昨年、ザルルツブルク音楽祭で上演されたモーツァルトの全てのオペラのDVDセットは、まさにモーツァルト・イヤー最大の贈り物でした。厳密なことを言えば「花作り女」は音楽祭の期間中ではなく1月から2月の上演でしたし、「ティート」もここに収録されているのは3年前のものではあるのですが、そんなことはてぃーとも(ちっとも)問題ではありません。この全19セット、33枚のDVDから成るセットには、確かにこの年の熱狂ぶりまでも含めた、モーツァルトのオペラの最前線の記録が残されているのですから。
この「おやぢの部屋」では、その全てのセットのレビューを公開し終わったところです。ただし、それらのクレジットには、国内盤が出ているにもかかわらず品番は輸入盤のものしか表記されてはいません。つまり、これらはあくまで日本語字幕の入っていない輸入盤を見てのレビューだということを示す意味を込めて、その様な表記にしてみたのです。国内盤と輸入盤との最大の違いは日本語字幕があるかないかということですが、ただそれだけのために例えばこのボックスセットの場合では価格に3倍近い隔たりが生じています。常々ここで述べているように、国内盤DVDの価格設定は信じられないほど理不尽なもの、字幕だけのためにその様な暴挙を受け入れることは出来ないという、これは抵抗の姿勢のあらわれと受け取って下さい。事実、ことさら語学に堪能であるわけではないにもかかわらず、英語の字幕だけでなんの不自由もなくレビューを仕上げることが出来てしまったのですからね。
モーツァルトの音楽ほど、近年その演奏のスタイルが大きく変化したものもありません。19世紀のロマンティックな流れを汲むものは殆ど影を潜め、モーツァルトと同時代の様式に限りなく近づこうとするいわゆる「ピリオド・アプローチ」が主流を占めています。それぞれの演奏家の立場によってその取り入れ方は異なるとしても、今やこのムーヴメントは避けて通ることは出来ないものにまでなっています。今回のボックスでは、しかしそんなアプローチの差違よりは、やはり演奏者の個性の方がより印象に残っていたというのは、ある意味当然のことなのかもしれません。いかにこのムーヴメントの火付け役が指揮をしたところで、音楽そのものがつまらなければそれは退屈なものにしかなり得ないことは、「フィガロ」や「ティート」を聴けば誰でも分かるはずです。
DVDで映像として接するときには、やはり演出面に目がいくことになります。現在のオペラシーンでは、才能ある演出家であれば、かつて宮廷などで上演されたものを現代の聴衆の前で見せることにどのような意味を持つかということについて真剣に考えない人はいないはずです。その結果、退屈極まりないと思われていた「オペラ・セリア」が、見事に現代の観客にアピールするように変貌してしまうという「バロック・オペラ」の一大ブームが訪れることになったのですが、それはモーツァルトの場合も例外ではなかったことが、やはりこのボックスで確認することが出来ました。特に初期のほとんど知られることのなかったオペラ・セリアに於いて、見事な再創造がなされていたことは、個々のレビューでも述べてある通りです。
もちろん、その意欲は認めつつもアイディアが空回りして的確なメッセージが伝えられなかったものもかなり見受けられます。「後宮」でのプロットの崩壊はちょっとやりすぎでしょうし、「ツァイーデ」で「アダマ」という新作と合体させた措置も、到底成功していたとは思えません。「さまよい」の特に第2部と第3部も、あまりにもダンスの要素が勝ちすぎていて、モーツァルト・ファンを失望させていたことは明らかです。しかし、一方では、どんなに乱暴に扱われても、モーツァルトの音楽自体はびくともしないでその存在を主張していたことも、また確認できたのではないでしょうか。その様な意味でのモーツァルトの「強さ」が、図らずもアピールされたのであれば、それもまた一つの成果であったはずです。
個人的に最も面白かったのは、「バスティアンとバスティエンヌ」と「劇場支配人」を合体させたプロダクションです。オーディションという概念でこの2つの作品を無理なくつなげ、しかも「バスティアン」は人形劇というユニークさ、人間以上の演技を見せたくれたパペットたちに拍手です。
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by jurassic_oyaji | 2007-05-03 20:57 | オペラ | Comments(0)