おやぢの部屋2
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BACH/Motetten
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The Hilliard Ensemble
ECM/476 5776
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCE-2058(国内盤)


このレーベルにおけるヒリヤード・アンサンブルの印象と言えば、例えばアルヴォ・ペルトの作品とか、あるいはヤン・ガルバレクやクリストフ・ポッペンとのコラボレーションといった、ちょっとひねった形での関わりが強烈に残っています。しかし、そんな状況のまっただ中にあった2003年に、こんな彼らの本来のフィールドでの仕事も残していたのはちょっと意外でした。それが今頃になってリリースされたというのは、単にセールス上のイメージを優先させた結果だったのだ、と受け止めるべきでしょう。そういえば、同じ頃に録音されたゴンベールというのもありましたね。カラスが種をほじくるというテキストだったでしょうか(それは「ゴンベー」)。
もちろん、ECMのことですから、バッハのモテットといってもありきたりの演奏で終わるわけはありません。偽作の疑いのあるものまで含めて、全部で7曲のモテットがここには収録されることになりました。そして、ジョシュア・リフキン流にすべてのパートを一人で演奏するというスタイルをとることが、彼ら(あるいはECM)なりのこだわりとなります。ほとんどの曲がとっている4声の二重合唱という編成の場合は8人、BWV227のように5声の合唱では5人ということになります。楽譜に「コラ・パルテ」ということで、合唱のパートを楽器で重ねる指示がある場合でも、同じパートであれば歌手一人以上の参加は認めないという潔さです。ただ、BWV230のように4声の合唱パート以外に独立した通奏低音のパートがある場合には、オルガンが加わっています。そんなときも専門のオルガニストを呼ばずに、手の空いたメンバー(テノールのカヴィ・クランプ)が演奏することで、「合唱のメンバーだけ」というポリシーは貫かれるのです。
基本的に男声だけで歌っているこのアンサンブルですが、ここではソプラノのパートに女声が参加しています。そのことによって、とかく禁欲的になりがちな彼らの響きが、見事に華やかなものに変わっています。その結果、この必要最小限の編成から、何の不足もない実に豊かな色彩とダイナミックスを引き出すことに成功しました。特にそれが効果的に現れているのが、新年のために作られたと思われるBWV225"Singet dem Herrn ein neues Lied"です。第1コーラスのソプラノ、ジョアン・ランが、ファンファーレのような音型を、まるで玉を転がすような音色で歌い出しただけで、そこには輝かしく明るい光が差し込んでくるのです。ほかのそれぞれのメンバーも、一人一人が充実したソノリテを持っていますから、たった8人とは思えないほどのスペクタクルな世界が広がります。終止の三和音も、限りなく短調に近いギリギリの純正和音、この編成でなければ望めない危険技ですが、そこからはゾクゾクするほどの緊張感が伝わってきます。
最も大規模な構成を持つBWV227"Jesu, meine Freude"でも、たった5人で演奏しているとは思えないほどのワイドレンジの音楽が繰り広げられています。ここで彼らが目指したものは、バッハを素材とした新しい音楽の創造であるかのように、新鮮なアイディアに満ちています。そのベースとなっているのは少人数ならではの軽いフットワークに基づく驚異的なリズム感。1曲目の正確にオンビートに乗ったコラールから聴くことの出来るもたつきの全くないドライヴ感からは、強い意志さえも感じられるはずです。それが、3曲目の同じコラールの2節目になると、複雑な内声の動きを強調してあたかも前衛的な和声であるかのような試みを聴かせてくれています。6曲目のフーガも、ことさら曖昧さを前面に押し出したような不思議な味わいを持っています。
ここで我々は、リフキンの主張とは別の次元で、各声部を一人だけで演奏することの必然性を感じるに違いありません。卓越した演奏家が、それぞれ自発的な音楽を繰り広げながらも一つの方向性を目指した時、そこからは大人数の合唱からは決して得られないある意味完璧に近い表現が生まれることを知るのです。輸入盤ではブックレットやケース裏のミスプリントに印刷後に気づき、慌てて外側のケースだけシールを貼って訂正してありました。国内盤では、それも「完璧に」直されていることでしょうし。
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by jurassic_oyaji | 2007-06-02 22:29 | 合唱 | Comments(0)