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Tôru Takemitsu in Memoriam
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Duo Takemitsu
Marianne Leth(Fl)
Anders Borbye(Guit)
CLASSICO/CLASSCD 661



昨年、2006年は、もちろんあのモーツァルトが生まれて250年という大騒ぎの年でしたが、実は武満徹が亡くなってから10年経ったというアニバーサリー・イヤーでもありました。モーツァルトほどの規模ではありませんでしたが、それにちなんだコンサートなども日本国内のみならず、世界中で開催されていたはずです。このアルバムも、そんな追悼イヴェントの一つ、デンマークのフルートとギターのデュオ・チーム、「デュオ・タケミツ」が、オルフスとコペンハーゲンで行ったコンサートの模様をライブ収録したものです。
1993年に武満の「海へ」という、この編成の曲を演奏して以来、作曲者の名前をそのグループ名に冠したのは、フルーティストのマリアネ・レートとギタリストのアナス・ボアビ(例によって、北欧系の表記には自信がありません)でした。もちろん、彼らは武満の作品ばかりを演奏しているわけではなく、この編成でのレパートリーを数多くこのデンマークのレーベルに録音しています。
2月の19日(オルフス)と20日(コペンハーゲン)に行われた追悼コンサートでは、その武満の作品のほかに、日本人のやはりフルートとギターのための新しい作品が演奏されています。その中には、これが世界初演となる久田典子(1963年生まれ)の作品も含まれていました。
CDはまず、彼らの十八番ともいうべき「海へ」から始まります。アルトフルートにしては密度の高い、そしてかなりアグレッシブな息づかいに注意が引かれます。その音に集中していると、なにやら楽譜にはないはずの打楽器のような音などが聞こえてくるのに気づかされます。それらの音はどうやら演奏会場のノイズのようなのですね。椅子がきしむ音などがかなりはっきり分かります。そのうちに、自動車のエンジン音のようなものも聞こえ始めました。それは外を走っている車のもの、さらに、飛行機の音まで聞こえてきますから、この会場は遮音が全くなされていないことが分かります。ふつうの音楽ホールではない、ただの集会場なのでしょうか。
そもそも彼らが武満、というか、この曲に惹かれたのは、この曲が元々は「グリーンピース」という、鯨の保護などに熱心な平和団体とのコラボレーションによって生まれたということが大きな要因になっているということです。そう考えれば、かなり挑戦的な演奏も、そして、こういう騒音に無頓着な感性も納得できることでしょう。武満その人は「沈黙」というものを大切にしていたはずなのですが。
続く、ふつうのフルートの独奏曲「巡り」でも、まるでさっきのアルトフルートをそのまま使っているのであると思われるような太い音色で、「イケイケ」の音楽が展開されます。例えば、小泉浩が演奏すると日本の尺八が連想されるような部分では、それとは全く異なる強烈なアタックが聴かれます。こういうあたりが、西洋人の感じ方、インターナショナルな広がりを持ってしまった武満作品の宿命なのでしょう。
相棒の、発音が難しい名前のギタリストも、ソロの曲を演奏します。「すべては薄明のなかで」という、4つの小品の集まった曲、湿っぽいところなど全くない、乾いた潔さが素敵です。
そして、初演曲、久田典子の「Phase III」と、新実徳英の「メロス II」(1999)、福士則夫の「夜は紫紺色に明けて」(1992)が続きます。久田作品には、武満が好んで使った音列と非常に良く似たものが登場しますから、これはこのコンサートの趣旨を理解した上での措置だと思いたいものです。新実作品はメロディアスなところが殆どないドライな作風、この演奏家があるいは最も共感が寄せられる世界なのかもしれません。福士作品のテイストは最も武満に近いところにあるように感じられます。その柔らかな筆致は、時には眠気を誘うことも。
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by jurassic_oyaji | 2007-06-10 19:59 | 現代音楽 | Comments(0)