おやぢの部屋2
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The Jazz Album
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Peter Donohoe(Pf)
Michael Collins(Cl)
Simon Rattle/
London Sinfonietta
EMI/388680 2
(輸入盤)
東芝
EMI/TOCE-13385(国内盤)


サイモン・ラトルが1987年に発表した楽しいアルバムが、リイシューされました(そんなに古いものではありませんから、「異臭」を放ったりはしません)。「ジャズ」に影響を受けた、あるいはジャズのイディオムが積極的に反映された「クラシック」の作品を年代順に演奏するかたわら、「ジャズ」のスタンダード・ナンバーを間に挟み込む、という企画です。国内盤には、オリジナルのジャケットが使われています。
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「クラシック」として取り上げられているのが、ミヨーの「世界の創造」(1923)、ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」(1924)、ストラヴィンスキーの「エボニー・コンチェルト」(1945)、そしてバーンスタインの「前奏曲、フーガとリフ」(1949)という、ありがちなラインナップというのが気になりますが、実はここにはラトルならではのひと味違う工夫が秘められています。それは、その他にフューチャーされているナンバーが、「ラプソディ~」の仕掛け人、ポール・ホワイトマンのバンドによって演奏されるために、当時のそうそうたるオーケストレーターによって編曲されたものであるということです。もちろん、その中には「ラプソディ~」のオーケストレーションを担当したグローフェも含まれています。「Nobody's Sweetheart」という曲を編曲したレニー・ヘイトンなどは、こっそり「ペトルーシュカ」からの引用なども忍び込ませていますから、これは図らずも「エボニー~」とリンクすることになっていたのかもしれません。
「ラプソディ~」が、後にグローフェ自身の手できちんとした「クラシック」のオーケストラ(つまり、4種類の木管楽器や5部の弦楽器といった、標準的な編成にサックスが入った形)のために作り直された、今普通に聴かれるバージョンではなく、ポール・ホワイトマンのバンドによって最初に演奏されたオリジナル・バージョンに依っているという点が、このアルバムの最大のポイントになっています。このバージョン、基本的にはビッグ・バンドの編成で、そこにヴァイオリンが入っているというものですから、例えばミュージカルのピットに入っているオーケストラのようなものです。ホワイトマンがガーシュインに求めたものは、ジャズというものを薄暗いナイトクラブから華やかなコンサートホールに引きずり出し、ショービジネスとしての需要に応えられるものを作ること、それは、決してジャズとクラシックの融合といったようなハッピーなものではなかったはずです。
そのような流れを的確に把握したであろうラトルが、1920年代に同じチームによって制作されたスタンダード・ナンバーを同時に演奏することによって、「ラプソディ~」は成立した時のコンセプトをもって演奏されることになりました。その結果醸し出されたのは、「オーケストラ」ではなく、あくまで「バンド」としてのノリ、取り澄ましたクラシックコンサートでは決して味わうことの出来ない爽快なまでに見事なグルーヴだったのです。その「バンド」が時折見せる、まるで「スカ」のような裏打ちのビートからは、「ジャズ」さえも超越したポップな音楽が聞こえてはこないでしょうか。
バーンスタインの「前奏曲~」も、まさにその流れをくむ音楽であることが、この演奏からははっきり伝わってくるはずです。そこからは、後に完成する彼の代表作「ウェスト・サイド・ストーリー」の萌芽、ショービズの匂いがふんだんに放たれていることでしょう。
ミヨーやストラヴィンスキーの作品が、同じ「ジャズ」を素材にしていても、このアルバムの中では決定的に浮いた存在であると感じられたなら、ラトルの目論見は大成功を修めたことになるのではないでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2007-06-26 23:28 | オーケストラ | Comments(0)