おやぢの部屋2
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Beethoven for Winds
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Octophoros
ACCENT/ACC 10034



なんでも、昨年2006年はこのACCENT(アクサン)レーベルが出来てから25年の記念の年だったそうですね。銀婚式ですか(それは「オクサン」)。1981年(1979年という説もあるのですが)の発足時から、この、ベルギーのオリジナル楽器専門のレーベルは日本コロムビア(現コロムビアミュージックエンタテインメント)というメジャーなメーカーから国内盤が出ていましたから、馴染みがありました。
そんななつかしいアイテムが、25周年を記念してまとめて「ACCENT PLUS」というレーベルでオリジナルのジャケットにかなり近いデザインのものがリイシューされました(例のラーメンの丼のような模様はなくなっていますが)。クイケンたちのものはさんざん聴いていたので、ここではちょっと面白そうなベートーヴェンのハルモニー編曲版を聴いてみましょう。「フィデリオ」序曲は他の人の編曲ですが、なんといっても、交響曲第7番全曲をこの管楽器だけのアンサンブルのためにベートーヴェン自身が編曲をした、というものには興味がわきます。あのベートーヴェン、交響曲というものを極限まで高い精神性で構築した人が、言ってみればBGMに過ぎないこんな編成のものに書き換えるなんて、ちょっと信じられない感じがしませんか?あるいは、それは後の人による勝手な思いこみに過ぎず、軽いノリで自作のプロモーション用のバージョンを作っただけなのかもしれませんがね。
一通り聴いてみると、第1楽章ではしっかり提示部を繰り返して演奏していました。ですから、演奏の姿勢自体はしっかりオリジナルに忠実であるような印象です。しかし、なんだか第3楽章と第4楽章がいつの間にか終わってしまっているような違和感が残りました。演奏時間もこの2つの楽章はずいぶん短めです。
実は、このシリーズには、廉価盤であるにもかかわらず、初出の時のライナーノーツがきちんと掲載されています。それを読んでみると(もちろん英語で)、ベートーヴェンは、この編曲に当たってはずいぶんいい加減なことをやっていたことが、生々しく語られていたのです。あちこちで大幅なカットを行ったと。それを参考にして、今度はスコアを見ながら聴いてみると、確かに第4楽章などは無惨なカットがなされていることが分かります。なんせ、展開部がまるごとなくなっているのですから。その手口があまりにも確信に満ちていたものですから、最初は全く気づきませんでしたが、イ長調(そもそも、この編曲は楽器の都合に合わせて「ト長調」に移調してあります・・・オリジナル楽器ですから、嬰ヘ長調に聞こえますが)からハ長調に転調している展開部は、なんのためらいもなく素通りされていたのです。これは大問題。ひょっとしたら、「運命」の第2楽章を4小節で終わらせてしまったピーター・シックリー(P・D・Qバッハ)と同程度に笑える措置かもしれません。
第3楽章のロンドも、本来はロンド主題-トリオ-ロンド主題-トリオ-ロンド主題-コーダだったものが、「トリオ-ロンド」のセットが一つなくなっています。これもバランス的にはとても間抜け。それからもう一つ、第2楽章の253小節目がやはりなくなっています。これはちょっと余計かと思えなくもない小節なのですが、これがないことによっていかにもありきたりの音楽に変わってしまうのがよく分かります。
こういう仕事を見てしまうと、果たしてベートーヴェンは自作にどれほどの愛着を持っていたのだろうという疑問が湧いてはきませんか?あるいは、そもそもハルモニー・ムジークなどというものはそんなに心血を注ぐほどのものではないと思っていたのでしょうか(それはよく分かります)。
そんな作曲者の思いを代弁したわけでもないのでしょうが、この演奏はとてもしまりのないいい加減なものです。そもそも、交響曲を9つの管楽器だけで演奏することには無理があるのでしょう、一人でベースのパートを担当させられているコントラファゴットなどは、第1楽章の144小節目のとても目立つソロで見事に落ちてしまっていました(繰り返しでは演奏しているので、そういう編曲ではないことが分かります)。それに気づかない録音スタッフも相当いい加減。
by jurassic_oyaji | 2007-07-14 20:41 | 室内楽 | Comments(0)