おやぢの部屋2
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クラシックCD異稿・編曲のたのしみ
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 こういう本を買いました。著者の近藤さんという方は経済学者、そちらの分野での著作はたくさんあるのだそうですが、全く趣味の世界でこんな本を出されました。タイトルにあるように、いろいろな作曲家の異稿や編曲もののCDを紹介しています。発売されたのは去年の12月だそうですが、なぜか今まで私の目に触れることはありませんでした。こんな面白そうな本、もし見つけていれば絶対買ったはずですが、仙台のような田舎町ではかなり大きな本屋さんに行っても、ありませんでした。たまたま他の人から「こんな本があります」と教えてもらったから、やっと知ったというのですから、なんと間抜けなことでしょう。もちろん、本屋さんで買えるわけはありませんから、ネットで購入です。
 著者は本職の「音楽評論家」ではありませんから、その文章はあちこちに謙虚な面がのぞかれます。あくまで自分は専門的な知識はないので、そういうことはしかるべき資料で調べて欲しい、というスタンスです。そこで参考資料として示されているものが、ほとんどのものがウェブサイトなのですよ。こういう形での資料の提示というのは、いかにもインターネット全盛の時代ならではのものですね。読者は、この本で不足しているものは、記載してあるURLによって、いとも簡単にそのサイトから得ることが出来るのですから。
 ただ、これは逆に考えれば、「書籍」としては甚だ不完全な姿をさらしていると言えなくもありません。かつてこのように出版される「本」というものは、他の文献からの引用なども含めて、それ自身で完結しているものでした。その様な参考文献は、普通の読者ではなかなか読むことが出来ないようなものが多いはずですから、著者を通じてそれらのエッセンスも知ることが出来るというようなこともありました。そこまで含めて一冊の本として完結させるのが、著者の力量というものでした。もちろん、この本もその様に「参考サイト」の要約を試みている部分もあります。しかし、中には丸ごと「そちらをご覧ください」と逃げられている部分もあって、そんなところに出会うとなんとも力が抜けてしまいます。それはおそらくインターネットの「リンク」のノリなのでしょうが、活字の世界でそれをやられるのは、正直馴染めません。この本はマニアックな著者の労作であることは認めつつも、なんだか「リンク集」のような感じが強く迫ってくるもの、それが「不完全」と感じた最大の理由なのでしょう。
 しかし、その「リンク」の中に、私のサイトが含まれているとなると、事情は変わってきます。なんと、「モーツァルトのレクイエム」の「参考サイト」として、一番最初にこの「ジュラシック・ページ」が紹介されているではありませんか。もちろん、レクイエムの多くの版に関する部分です。よくぞ見つけてくれたものです。私のサイトは、そこまでの市民権を誇っているのですね。正直、嬉しくなりました。
 しかし、普通サイトでリンクを張る時には、相手にそれなりの告知をするのが「常識」です。私が今までこの本の存在を知らなかったのでも分かる通り、この著者、あるいは出版社からは、このことに関してはなんの連絡もありませんでした。それが出版界の「常識」なのでしょうか。
by jurassic_oyaji | 2007-07-17 20:49 | 禁断 | Comments(0)