おやぢの部屋2
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SCHNITTKE/Symphony No.0, Nagasaki
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Hanneli Rupert(MS)
Owain Arwel Hughes/
Cape Town Opera Voice of Nation
Cape Philharmonic Orchestra
BIS/BIS-CD-1647



1957年に完成した「交響曲第0番」と、1958年に作られたオラトリオ「長崎」という、シュニトケの最初期の作品の、もちろんCDとしては初めての録音です。「交響曲」の方は完成した年にモスクワで演奏されていますが、「長崎」はラジオ放送用に録音されただけ(「1959年に日本で放送されたんですって」「ほう、そうですか」)で、このCDの録音と同時に行われた200611月のコンサートが、世界で初めての公開演奏となりました。そもそも、この2曲ともロンドンの「シュニトケ・アーカイブ」に残された自筆稿のコピー自体にかなり欠落や不明瞭な部分があったので、モスクワ音楽院や、モスクワ放送局のライブラリーで調査を行い、修復を施されて演奏可能な状態になったということです。
4楽章の古典的な形式を持つ交響曲は、殆どショスタコーヴィチの亜流のような印象を受けるもの、いかにも親しみやすいテーマが出現する各楽章は、難解さとは全く無縁のたたずまいを見せています。スケルツォ楽章である第2楽章のテーマは、一見複雑なリズムが出てきますが、それは十分に聴きやすさの範疇に収まっています。中間部のメロディアスなテーマも魅力的。そして、第3楽章の、まずファゴットのソロで提示されるしっとりとしたテーマも、なかなか深い味わいです。ショスタコーヴィチですと、それに続くフィナーレは華々しい迫力あふれるものになるところが、ここがシュニトケならではの個性が発揮されたところでしょうか、ちょっと斜に構えたテイストに仕上がっているのが面白いところです。
「長崎」は、もちろん長崎に落とされた原爆の惨状と、それを乗り越えてみんなで平和な世界を作り上げようというメッセージ(もちろん、冷戦時のアメリカに対する批判)が込められた、5楽章からなる大規模なカンタータです。テキストには、「ソ連」のプロパガンダ詩人アナトリー・ソフロノフのものと、島崎藤村、米田栄作という2人の日本人の詩のロシア語訳が用いられています。
メゾソプラノ独唱と混声合唱、それに大編成のオーケストラという大規模なオーケストレーションなのですが、単に木管楽器が4人ずつ(4管編成)という人数的なことだけではなく、ピアノ、チェレスタ、パイプオルガン、そしてなんとテルミンまで用いられているというユニークさには圧倒されます。第1楽章や第2楽章などは、単調なリズムに乗って、華やかな金管楽器が彩りを添えるという、まるでオルフの「カルミナ・ブラーナ」のような壮大なストレートさで迫るものです。ロシア語の歌詞の中にあって、「ナガサキ」という響きは、何度も何度も繰り返されて、いやでも耳に染みついてしまいます。
しかし、第3楽章では、かなり前衛的な扱いが見られ、そこまでとはひと味違う、緊張感が走ります。そして、次の第4楽章が、音楽的には最も実りが多いと感じられた部分です。薄目のオーケストレーションの中で、注意深く新しい響きを作り出しているあたりが、シュニトケのアイデンティティのあらわれのように聞こえます。最後の楽章でも、高らかに歌い上げられてはいても、なにか醒めたものが感じられるのは、ソフロノフの詩には決して共感してはいなかった作曲者の創作姿勢のあらわれなのでしょうか。
南アフリカ共和国には2つしかないプロのオーケストラの一つ、ケープ・フィルは、管楽器を中心に色彩的で力にあふれたサウンドを披露してくれています。ただ、写真で見ると弦楽器の人数がかなり少なめなのが気になります。実際の録音でも弦楽器には豊かさというものがまるで感じられない薄っぺらなものでした。「長崎」で頻出する変拍子にも、ちょっとした甘さが感じられてしょうがありません。合唱は言葉を失うほどのひどさ。いくらロシアの曲だといっても、ここまで音程がないとただの叫びになってしまいます。
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by jurassic_oyaji | 2007-07-30 21:12 | 合唱 | Comments(0)