おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
BACH/Matthäus-Passion BWV244b
c0039487_20115650.jpg
Ute Selbig(Sop), Britta Schwarz(Alt)
Martin Petzold(Ten)
Matthias Weichert, Thomas Laske(Bas)
Georg Christoph Biller/
Thomanerchor Leipzig, Gewandhausorchester
RONDEAU/ROP4020/21/22



バッハの「マタイ受難曲」がライプツィヒで初演されたのは1727年のことですが、現在普通に演奏される時には後の1736年に演奏された時に改訂された楽譜が使われています。BWVでも、244として掲載されているのはその形のものです。改訂される前のいわゆる「初期稿」は、発見されたのがごく最近、1970年でしたから、BWVでは244bとなっています。ちなみに、BWV244aというのは、「マタイ」のパロディ、つまり「使い回し」である、ケーテンのレオポルド公のための葬送音楽です。
この初期稿、コンサートでは例えばバッハ・コレギウム・ジャパンなどが演奏していましたが、正規のCDとして出るのはこのビラーによるものが世界で初めてのものとなります(プライヴェート盤では、日本のアマチュア合唱団のものがありました)。ビラーたちは来日公演の際にもこの初期稿で演奏していましたから、長い時間をかけて練られた演奏が満を持して録音されたということになります。
BWVを見た限りでは、初期稿と通常稿との違いは第1部の大規模な合唱が、13小節しかない普通のコラールだということと、57番のバスのアリアのオブリガートが、ヴィオラ・ダ・ガンバではなくリュートになっているというぐらいの違いしか分かりませんでした。しかし、実際に聴いてみると違いはそれだけではありませんでした。例えば17番のコラールは歌詞が別のものになっていますし、第2部の最初に歌われる30番の感動的なアルトのアリアは、バス歌手によって歌われていたのです。それだけではなく、アリアなどのメロディラインが、なにか聴き慣れたものとは異なっているのに気づかされます。よく聴いてみると、それは装飾の違いであることが分かります。それがはっきり分かるのが、8番のソプラノのアリア。特に中間部で十六分音符や三十二分音符で華やかに彩られた部分は、いともあっさり八分音符で片づけられていて拍子抜けしてしまうほどです。同じメロディをユニゾンで吹いているフルートのパートもありませんし。
思うに、これはバッハの時代の習慣なのですが、メロディはほんの骨組みだけを書いておいて、実際に演奏するときには演奏家の裁量で装飾を付けるというものの、言ってみれば「使用前・使用後」の形が現れた結果なのではないでしょうか。1727年に作った楽譜は、大体のアウトラインだけ、もちろんそれを歌った歌手はそれなりの装飾を施して歌ったことでしょう。バッハはそれを(あるいは、もっと良いフレーズを考えて)1736年にはきちんと譜面に書き起こしたと。例えば「アポジャトゥーラ」と呼ばれている前打音などは、楽譜に書かれていなくても普通は付けて演奏するものです。ですから、そのような必要なものまで「楽譜通り」に付けないでおくというこの演奏は、「初期稿」の譜面づらを知るための効用はあるかもしれませんが、他人に聴かせるための演奏としてはちょっと硬直したアプローチのような気がするのですが、どんなものでしょう。
そんな、ちょっと不自然な面に目をつぶれば、これはなかなか聴き応えのあるものです。聖トマス教会の合唱はいつもながらの安定感を見せていますから、児童合唱特有の危うさは全く感じることは出来ません。ビラーの目指している細やかな感情表現をとても豊かに作り上げています。ソリスト陣ではエヴァンゲリストとソロを一人で受け持っているペツォルトが、まさにその細やかな情感を高いレベルで表現していて素敵です。オーケストラはもちろんモダン楽器ですが、しっかりバッハの様式を捉えた素朴さが光ります。49番のソプラノのアリアでのフルートのオブリガートを吹いている人は、おそらく木管の楽器を使っているのでしょう、渋い音色が心を打ちます。もちろん、必要な装飾を付けてくれていたら、何も言うことはなかったことでしょう(「今度からはそうしよう」ですって)。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2007-08-01 20:15 | 合唱 | Comments(0)