おやぢの部屋2
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HANDEL/Arias
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Magdalena Kozená(MS)
Andrea Marcon/
Venice Baroque Orchestra
ARCHIV/00289 477 6547(輸入盤)

ユニバーサル・ミュージック/UCCA-1077国内盤11/21発売予定)


コジェナーという人は、なんとも不思議な魅力をもつメゾ・ソプラノではないでしょうか。今回のジャケ写などは、はっきり言ってかなり不気味、美しさからはちょっと離れた、極めてユニークなチャーム・ポイントを強調したものとなっています。もちろんそれは、決して自分の恋人にはしたくないようなルックスなのですが。
しかし、ここで彼女が披露しているヘンデルのアリアは、まさにそんなルックスに背かないユニークさを持って迫ってきているのですから、驚いてしまいます。そんな印象を最も強く受けるのが、9曲目、「オルランド」から「狂乱の場」として知られる「おお、黄泉の国の怨霊よAh! stigie larve!」です。ここでのコジェナーはまさに「狂乱」そのものといったすさまじい表現を見せつけてくれています。レシタティーヴォは、殆ど音程も無視したような「叫び」に変わり、地声まで駆使して濃厚な情念を伝えています。
同じような、ほとんど「語り」に近いせっぱ詰まった歌い方が聴けるのが、2曲目、英語によるオペラ「ハーキュリーズ(ヘラクレス)」の中のデジャナイラが歌う「私はどこへ飛んでいけばいいのWhere shall I fly」というデンジャラスなアリアです。こちらも自分のミスで夫を死なせてしまったというシチュエーションですから、その歌は真に迫っています。わざと音程を狂わせて歌うというやり方は、言葉が英語ということもあって、まるでブロードウェイ・ミュージカルのように聞こえます。ジュリー・アンドリュースあたりの、あのいかにもわざとらしい崩し方ですね。コジェナーがそれをやるのですから、そこからはとてつもない迫力が生まれてきます。オペラもミュージカルも、人の声を通してなにかを訴えかけるという点ではなんの違いもないということが、時代を遙かに超越して伝わってくるような、それはものすごい迫力です。
そんな彼女が、有名な「リナルド」の中のアルミレーナのアリア「私を泣かせて下さいLascia ch'io pianga」を歌うとき、そこから導き出される言葉の重みに、思わずたじろいでしまうに違いありません。例えば先日聴いたマナハン・トーマスのような表現とは次元の違う、確固とした意志の力が、そこからは痛いほど感じることができることでしょう。
今回彼女とは初顔合わせとなるマルコンの指揮によるヴェニス・バロック・オーケストラも、彼女に負けないほどのテンションをもって、緊張感あふれる音楽を作っています。それは、1曲目の「アルチーネ」からのアリア「ああ、私の心よ、そなたは嘲るのかAh, mio cor! Schernito sei!」の前奏の弦楽器の刻みを聴いただけでも分かります。背筋がゾクゾクするほどの、恐ろしいまでの集中力がそこに込められていることに気づくはずです。一人一人のプレーヤーのレベルも高いのでしょう。「ゴールのアマディージ」からのメリッサのアリア「地獄から呼び寄せようDestero dall'empia Dite」でソロを聴かせてくれるオーボエとトランペットの素晴らしいこと(ただ、「テオドーラ」からの「私の哀しみほどに深い闇でWith darkness deep as is my woe」のイントロで確かに聞こえてくるトラヴェルソのソリストが、メンバー表に載っていないのは片手落ちです)。
そんな、歌い手もバックも申し分のない熱演を繰り広げているアルバムなのですが、全部聴き終わってもあまり幸せな気持ちになれなかったのはなぜなのでしょう。いかに素晴らしいものでも、あまりに主張が強すぎると、ヘンデルのようなものの場合は体が受け付けないのかもしれません。
by jurassic_oyaji | 2007-09-12 20:40 | オペラ | Comments(0)