おやぢの部屋2
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Choral Arrangements by Clytus Gottwald
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Ralph Allwood/
The Rodolfus Choir
SIGNUM/SIGCD 102



クリトゥス・ゴットヴァルトの編曲作品が、もはや多くの合唱団のレパートリーとして欠かせないものになっているのは、このところリリースされている合唱のCDに、彼の名前が頻繁に見られることでも分かります。そして、なんとゴットヴァルトのものだけで1枚のアルバムを作ってしまうということすらも、珍しくはなくなっているのですから、すごいものです。ほんの半年ほど前にご紹介したクリード盤に続いて、今度は合唱王国イギリスの団体によって、彼の作品だけのCDが録音されました。
ここで演奏しているルドルフス合唱団というのは、1983年に創設された団体ですが、その母体は毎年行われている「イートン合唱コース」という、タモリが講師をしている夏の合唱講習会です(それは「イートモ合唱コース」)。これは、イギリス中から合唱のプロを目指す学生など350人が集まって、講習を受けるというもの、その講習生の中から毎年10人前後の人が、この合唱団のメンバーとして誘われる、というシステムになっています。そのようにメンバーを入れ替えて、常に25才以下の人だけによって合唱団が構成されている、という状態が保たれているのだそうです。今までHERALDレーベルから6枚のCDを出していましたが、これは、SIGNUMへの初の録音となります。
確かに、ここで聴かれるメンバーの声はいかにも若々しく、その上で高度の訓練を受けていることがよく分かるものです。ハーモニーに乱れはありませんし、ゴットヴァルト編曲によく出てくる非常に高い音を出すソリストパートも、全く危なげのない澄んだ声を聴かせてくれています。とは言っても、なにか素材の良さが生かされていないな、という感じが、ここには常につきまとっているのはなぜなのでしょうか。特に男声パートはいかにも生の声がそのまま出てしまって、潤いというものが感じられません。ソプラノソロも、恐ろしく淡泊な味で、妙にまわりのパートから浮いてしまっています。
最後に収録されているマーラーの「私はこの世に見捨てられ」は、今やゴットヴァルトの代表作として多くのCDに登場していますから、比較には事欠きません。その結果、彼らがベルニウスやクリードの境地に達するためには、テクニックを超えた、なにかが必要であることがよく分かってしまいます。合唱が全体としての主張、あるいは方向性を決めかねているのでは、という気がしてなりません。もっとも、アクサントゥスほどのノーテンキさまでに堕しているわけではありませんから、それなりの水準には達しているのですが、なんとももったいないことです。
曲目は、クリード盤でも演奏されていたマーラー、ラヴェル、ドビュッシー、カプレの他にヴォルフ、ベルクやウェーベルンなど、多岐にわたっています。データが全くないのでいつ頃作られたものかは分かりませんが、一体どれほどの編曲が存在しているのか、興味は尽きません。初めて聴いたラヴェルの「マラルメの3つの詩」からの「溜息Soupir」では、オリジナルの楽器編成を意識してか、なんと口笛を吹かせるという反則技を選んでもいます。そのうち、ヴォイス・パーカッションを取り入れるようになるのかもしれませんね。
それは冗談ですが、プッチーニの「私のお父さんOh! mi babbino caro」などというものは、かなり意外な選曲でした。もちろん、ゴットヴァルトのことですから、厚みのあるハーモニーで包み込むことは忘れてはいないのですが、彼の編曲の本来のコンセプトであった「ルクス・エテルナ」の世界を他の曲にも及ぼしてみるという点からは、かなり離れてきているように思えてなりません。そして、それがこの合唱団によって歌われた時になんの違和感もないというのが、ちょっと怖いところ、実はそれこそが最大の問題点なのかもしれません。
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by jurassic_oyaji | 2007-10-20 20:23 | 合唱 | Comments(0)