おやぢの部屋2
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LUCHESI/La Passione di Gesù Christo
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A. Vavasori(Pietro/Alt), P. Manfredini(Maddalena/Sop)
M. Pierattelli(Giuseppe/Ten), A. Manzotti(Giovanni/Alt)
E. Bertuzzi(Nicodemo/Sop)
Sandro Filippi/
Orchertra Barocca di Cremona
TACTUS/TC 741203



1730年にメタスタージオが書いたテキストを用いた「我が主イエス・キリストの受難」という、いわゆるバッハあたりの「受難曲」とはひと味違った設定によるオラトリオは、18世紀後半から19世紀初めにかけて数多くの作曲家によって作られています(一説では十何曲)。それらの作曲家はいまいち有名ではない人たちばかりなので、今まで殆ど知られることはありませんでしたが、最近になって次々と新録音が登場して、この曲に関心が集まるようになってきています。「おやぢの部屋」でも、今までにミスリヴェチェクサリエリパイジエッロの作品を紹介してきました。
今回は、1741年生まれ、ヴェニスで活躍した後、あのベートーヴェンのおじいさん(名前も「ルートヴィヒ」)が努めていたボンのカペルマイスターの地位を獲得したというイタリアの作曲家アンドレア・ルケージの作品の、世界初録音盤です。彼の名前は、この前のエントリーの「モーツァルトの周辺の作曲家」の中でも見られたものですね。ちなみに、ボンの宮廷楽団では少年時代のルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン・ジュニアその人もオルガニストの助手や、チェンバロとヴィオラ奏者として演奏していましたから、作曲に関してもルケージからは何らかの影響を受けていたことでしょう。
彼の「受難」は、1776年にボンで作られました。ところが、今まで聴いてきた3曲はCD2枚組だったのですが、これは1枚しかありません。それは、2部構成のテキストの内の第1部しか作曲されていないためです。これは、否認を悔いたペテロのシーンを集中的に扱うために、あえてキリストの埋葬に訪れるという第2部をカットしたルケージ自身の配慮によるものです。さらに、歌手の都合で最後のペテロのアリアも「ニコデムス」という、別のキャラが歌うようになっています。
そんな、少しコンパクトになった中で、音楽はキビキビと進んでいきます。アリアの間をレシタティーヴォでつなぐというオペラと同じ手法ですが、アッコンパニアート(レシタティーヴォの伴奏)もなかなか雄弁で楽しめます。短調で始まる重々しい序曲といい、それに続くペテロのアリアといい、まさにモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」と非常によく似たテイストを持った音楽が展開されているという印象を受けるのは、ある程度予測の出来たことでした。いえ、どこがどう似ていると指摘が出来るようなものではないのですが、それは例えばこの曲の中のソプラノのアリアを、ドンナ・アンナのアリアと置き換えてみてもなんの違和感もないだろうと思われるというほどに、同じ世界の産物のように聞こえてくるということなのです。もちろん「ドン・ジョヴァンニ」が作られるのはこれから10年ほど先のことになるのですから、直接的な関連などあるわけはありません。そういう次元の話ではなく、あの時代のヨーロッパではこういう音楽を作ろうと思えば誰にでも(もちろん、それなりの修練を積んだスキルの持ち主に限られますが)それが出来るだけの素地があったということなのでしょう。別な言い方をすれば、この曲は「モーツァルトの新しく発見されたオペラ」と紹介されて初めて聴かされた時に、かなり多くの人がなんの疑いも持たずに信じるだけのものを持っているのです。一度、試してみませんか?
ただ、このあたりのイタリアのレーベルにありがちな非常に貧しい録音のために、そんな試みも足を引っ張られてしまうかもしれません。ぼやけて焦点の定まらない音はオーケストラの響きから活力を奪ってしまい、かなりのメッセージをそぎ落としてしまっています。さらに、ソリスト達も粒ぞろいとは言い難く、アリマテアのヨゼフ役のテノールとヨハネ役のアルトはかなり悲惨。「聴き比べ」は、もっとまともなキャストと録音のものが現れてからにした方が良さそうです。
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by jurassic_oyaji | 2007-10-26 23:24 | 合唱 | Comments(0)