おやぢの部屋2
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STRAVINSKY/Le Sacre du Printemps
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Jonathan Nott/
Bamberger Symphoniker
TUDOR/7145(hybrid SACD)



学力テストのニュースが世間を騒がせていますが、何でもかんでも採点して評価しようという風潮には「ちょっと違うのではない?」と思わずにはいられません。えっ、その「採点」じゃない。失っ礼しました。
「春の祭典」と言えば、そんな学力テスト並の多くの課題を抱えた難曲ですから、アマチュアオーケストラなどではまさに「試験」そのもののような覚悟をもって挑まなければなりません。いえ、実際に演奏できる機会のあるアマオケはまだましな方、その前にとても無理だとあきらめてしまうことの方が断然多いはずですがね。
プロのオーケストラといえども、この曲を演奏する時にはそれまでのルーティンからは離れた、特別な接し方が必要になってくるはず、指揮者にしても、気合いの入れ方が違うことでしょう。大汗をかきながら、小節ごとに変わる変拍子と格闘している姿を見ていると、いかにも大変な曲であることが聴いている(見ている)人にも伝わってきます。そう、この曲はまさに指揮者にとっても「採点」を迫られる「試験」なのです。
そんな、いかにも難しい曲に立ち向かう努力の跡を見るのが、この曲の一つの魅力であった時代が確かにありました。作曲家自身が指揮をした録音を聴いてみると、そんなせっぱ詰まった思いが如実に伝わってきて興味は尽きません。
しかし、いつの頃からか、そんな作曲家の思いとは裏腹に、この曲をなんの苦労もなく演奏してしまう人が出てくるようになりました。さらに、ブーレーズあたりの功績でしょうか単に「野蛮でわけの分からない曲」というイメージからも脱却するようになったのです。
今回の指揮者ノットは、ブーレーズと同じ、パリの「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」の指揮者だった人、現代音楽を精緻に演奏するだけではなく、しっかりとした存在感を持って表現する能力にかけては定評があります。だいぶ前に出たリゲティのアルバムでも、作品に対する的確な解釈で、とても暖かい音楽を引き出していたはずです。
ですから、「春の祭典」でも、ひとつひとつの楽器のフレーズがきちんとした意味を持ってそれぞれに主張し合っていることが良く分かる演奏に仕上がっています。そもそも出だしのファゴットのソロからして、作曲された時にはとても難しい音を苦労して出しているという悲壮感を求めたものだったのでしょうが、ここで聴けるものは殆どセクシーと言っても構わないほどの艶やかさを持ったソロでした。そんな、すべての面で余裕を感じさせられる「大人」の演奏、そうなってくると、ブーレーズあたりがしゃかりきになってリズムの不規則性を強調していた「若い娘たちの踊り」などは、いともあっさりとしたリズム処理になっていて、逆に肩すかしを食らってしまうほどです。そんな、一見些事にこだわらないかに見えるノットの戦法、しかしそれは極めてクレバーなアプローチであることに、しばらくすると気づかされます。そこから生まれるいとも暖かい「春の祭典」、それはおそらく最も「現代的」なメッセージが込められたものなのかもしれません。
カップリングには「3楽章の交響曲」が収録されています。ノットによって同じアルバムの中に入れられた時、この曲の中、例えば両端の楽章に頻繁に見られる「春の祭典」のモチーフの断片に、いやでも気づかされることになります。こんな駄作の中にも、セルフ・パロディとしての存在意義をきちんと見いださせてくれるのが、ノットのたぐいまれな手腕です。
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by jurassic_oyaji | 2007-10-30 20:12 | オーケストラ | Comments(0)