おやぢの部屋2
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BEETHOVEN/The Nine Symphonies
c0039487_2322594.jpgAngela Denoke(Sop), Marianna Tarasova(MS)
Endril Wottrich(Ten), Matthias Goerne(Bar)
Mikhail Pletnev/
The Moscow State Chamber Choir
Russian National Orchestra
DG/00289 477 6409
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1365/9(国内盤)


プレトニョフがベートーヴェンのピアノ協奏曲と交響曲の全曲録音を進めていますが、協奏曲の方は絶賛されているというのに、交響曲に関しては評価がきっちり分かれているというのが、なかなか面白いところです。例えば、朝日新聞などでは風変わりではあるがそこからは確固たる意志が感じられる、みたいな持ち上げ方をしているというのに、「レコ芸」ではその風変わりさが許せないのか、国内盤担当の2人の評者、小石忠男先生と宇野功芳先生が揃って否定的な論評を下しているというのですから、これは絶対に面白い演奏に決まっています。レコ芸国内盤の批評ほどいい加減なものはないというのは、誰でも知っていることですから(「功芳も筆の誤り」)。これはぜひ実際に聴いてみるしかありません。5枚組でもそんなに高くはありませんし。
届いたボックスを開けてみると、それはまず見た目からして期待に違わない風変わりなものでした。紙袋の中から出てきたのは、レーベル面になにも印刷されていないCDだったのですから。これにはなにかマニアックな意味があるのかと思いましたが、2枚目以降はしっかり印刷されていましたから、これは単なる不良品だったのですがね。とは言っても、音には何の異常もありませんでしたから、別に返品もしないで手元に置いてあります。そんなものを集めている人の方が、あるいは「風変わり」と言われそう。
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さて、演奏ですが、確かにこれはヘンタイ丸出しのとてつもないものでした。びっくりするようなところにパウゼが入っていたり、思いっきりテンポを揺らしたり、はたまたまるで大見得を切るような時代がかったアコードを演出したりと、突っ込みどころが満載です。そんなヘンタイぶりをいちいちあげつらっているのは、しかし、この際は殆ど意味のないことです。おそらくここでプレトニョフが試みたものは、「名曲」の名をほしいままにしているベートーヴェンの交響曲を、完膚無きまでに自己の趣味に作り替えるという果敢なる挑戦だったのですから。
それを成し遂げるために彼の手兵、ロシア・ナショナル響が果たした役割には、驚異的なものがあります。それは、指揮者の出す、殆ど即興的と言っていい要求に瞬時に応えられるだけの高度の適応性と、それを支える精密この上ないアンサンブルの能力です。特に、どんな過激なテンポの変化にも全く動じることのないアンサンブルには、まさに信じられないものを見る思い、これだけの性能があるからこそ、プレトニョフは安心して自分の思い通りの表現を実現することが出来たという、まさに指揮者とオーケストラとの間の美しい信頼関係が、ここには成り立っていたのです。
それだけの、殆ど自身の「楽器」と化したオーケストラによってプレトニョフが描きたかったものは、例えば「第9」などを聴いてみることによって明らかになります。ここではさらに独唱者や合唱団の力も加わり、そのベクトルはより明確なものになります。その皮切りとなるゲルネのバリトンソロの、何と絶望感に満ちていることでしょう。そこから聞こえてくるものは、彼本来の深い響きではなく、まるで抜け殻のように空虚なつぶやきだったのです。続くアンサンブルでも、ソプラノのデノケの不安定な音程にリードされたハーモニーからは、前向きの勇気などはスッパリとそぎ落とされていることを感じるはずです。そして、殆ど音程のなくなっている合唱は、まるでゾンビのような叫びを繰り返すだけ、それは、こんな人たちと「兄弟」になんかなるものか、という決意を持つには十分のものでした。
もうお分かりでしょう。ここでプレトニョフが試みたのは、ベートーヴェンの力を反対側に作用させるという、小気味よいカウンターパンチだったのです。
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by jurassic_oyaji | 2007-11-06 23:23 | オーケストラ | Comments(0)