おやぢの部屋2
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PENDERECKI/Te Deum
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Izabela Klosinska(Sop), Agnieszka Rehlis(MS)
Adam Zdunikowski(Ten), Piotr Nowacki(Bas)
Antoni Wit/
Warsaw National Philharmonic Choir
Warsaw National Philharmonic Orchestra
NAXOS/8.557980



ペンデレツキが、それまでのアヴァン・ギャルドのスタイルから、ネオ・ロマンティックなものへと作風をシフトさせたのは、おそらく1977年前後のことでしょう。その年に作られた「ヴァイオリン協奏曲第1番」が、献呈者であるアイザック・スターンのソロによって初めて録音されたSONY盤を聴いた人は、一様にそのあまりの変貌ぶりに驚きを隠すことは出来なかったはずです。トーン・クラスターや微分音を多用した衝撃的な作品で、まさにある時代の寵児であった作曲家の新作は、およそそれまでのものとはかけ離れた、西洋音楽の伝統をそのまま受け継いだような甘美なメロディとハーモニーを持ったものだったのですから。
その少し後に作られた大規模な宗教曲「テ・デウム」をメインに据えたこのアルバムでは、そのカップリングの妙によって、そんな昔日の戸惑いを見事なまでに追体験できてしまいます。まず、作曲家が華々しくデビューした頃、あの有名な「ヒロシマ」の少し後、1961年に作られた「ポリモルフィア」を聴いてみましょう。ご存じのことでしょうが、この曲は映画のサントラとして用いられたことで非常に有名になったものです。それは「エクソシスト」や「シャイニング」といった、異常な現象を扱った作品なのですが、この曲のおどろおどろしいクラスターやグリッサンドが、まさにその異常さに恐ろしいほど合致しているのです。それは、この曲を初めて聴いた人の素直な反応を的確に現したものには違いありません。表層的な美しさではなく、破壊的なサウンドで直接人の心に訴えかけるなにかをに持っているこの曲は、同じ頃のリゲティや、そしてクセナキスといった才能の作品と確かに同じ次元で論じられるだけの価値を持っていたものでした。この曲の最後がハ長調というノーテンキな響きで終わっていることも、ある種のアンチテーゼとして受け止められていたことでしょう。
しかし、このアルバムで次のトラックの最新作「シャコンヌ」を聴くとき、その長三和音こそは、作曲家の本来の願望であったことを知るはずです。この、まるでラブロマンス映画の主題歌のような屈託のない「美しい」メロディこそは、彼がずっと書きたいと思っていたものだったのではないか、と。そうなってくると、あのクラスター満載のアヴァン・ギャルドに涙しつつ暮らすた私たちの日々とは、一体何だったのでしょうか。
「テ・デウム」と、それに引き続き聞こえてくる「聖ダニエル賛歌」との間に横たわる溝は、それほど大きなものではありません。今から思えば、「テ・デウム」を作った時代は、すでに作曲家にとってはアヴァン・ギャルドというものはネオ・ロマンティシズムを引き立てる単なるパーツでしかありませんでした。もっとも、1983年に作曲家が自ら指揮をしたEMIへの録音を聴くと、そこまでは開き直れないもどかしさのようなものも感じることは可能です。ことさら難解を装った音列などに対する思い入れが、尋常ではないのです。まるでそれらのものは確固とした意志のもとに作られたものであるかのように、深刻ぶった指揮者(=作曲家)の姿が見えるものでした。しかし、それから20年以上の時代の波にもまれて、そんな心遣いは全く無用なものとなる日が来ます。アントニ・ヴィットの明快な演奏によって、「ダニエル」の、まるでラフマニノフのようなおおらかさは、すでに「テ・デウム」の中には存在していたことがはっきり聴き取れてしまうのです。
さりげなく時代を超えて作品を並べただけに見えるこのアルバムからは、ペンデレツキという現代に生きる作曲家の苦悩の跡までが透けて見えるほどです。もっとも、それは結局は単に時代に対する迎合でしかなかったことも、注意深い聴き手であれば容易に感じることが出来るほどの、鋭い切り口さえここには潜んでいるのです。
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by jurassic_oyaji | 2007-12-16 19:54 | 現代音楽 | Comments(0)