おやぢの部屋2
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REICH/Sextet etc.
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Kevin Griffiths/
The London Steve Reich Ensemble
CPO/777 337-2



最近の作品はちょっと低調なスティーヴ・ライヒ、彼の昔の曲の、新しいアルバムです。演奏しているのは、ロンドンの王立音楽アカデミーの学生だったピアニストのヴィンセント・コーヴァーと、指揮者のケヴィン・グリフィスがこの作曲家の名前を冠して2005年に創設した「ロンドン・スティーヴ・ライヒ・アンサンブル」という、おそらく全員が20代の非常に若いメンバーが集まった団体です。しかし、考えてみれば、1948年生まれのライヒが、このアルバムでも演奏されている彼の初期の代表作「ピアノ・フェイズ」を作ったのが1967年なのですから、その時にはまだはたち前だったのですね。
その「ピアノ・フェイズ」、今では殆ど「ミニマル・ミュージック」の代名詞のように扱われている曲ですね。12の音からなるパターンを、2人のピアニストが同時に弾き始め、片方がほんの少しテンポを上げる事によって音の「ズレ」を生じさせ、えもいわれぬ効果を産み出すというものです。もちろん、そのような「効果」を十分に発揮させるには、演奏者にとってはとてつもない集中力が要求されることでしょう。その集中力とは、もしかしたら音楽を演奏することとは全く無関係なものであるのかもしれません。実際、この曲にそのような「音楽的」な要素を求めること自体が、間違っているのかもしれないと、かつての演奏では思わされたものでした。
しかし、ここでのコーヴァーたちの演奏からは、ある意味「実験的」な事象を超えた暖かいものを感じることは出来ないでしょうか。作曲者の目論見としては、二人の間の「ズレ」は連続的なものなのでしょうから、「揃って」いる時間はほんの一瞬になるはずです。しかし、ここでは彼らはその「揃った」状態をまるで楽しんでいるかのように長く引き延ばし、その間で「表情」を付けているのです。ひとしきり楽しんだ後は場面転換の「ズレ」のモードに入り、その後に来る別の音型になった状態を再度楽しむ、そこには、人間同士の魂の通い合いが確かに存在していました。
1984年の作品「セクステット」には、完成直後に作曲家とその仲間(パーカッション・グループ「NEXUS」のメンバーなど)によって録音されたNONESUCH盤があります。4人の打楽器奏者と2人のピアニストのために作られた曲ですが、ここでのピアニストは同時にシンセサイザーも担当することになっています。その時のライナーノーツで作曲者は、第2部(この曲は5つの部分に分かれています)ではピアノで伴奏を受け持っていた同じフレーズが、第4部ではシンセサイザーでメロディとして繰りかえされることの意味を述べていますが、確かにその「メロディ」となったパートはいかにもそれと分かる他と遊離した音色が選ばれていました。今回の演奏では、そんなはっきりとした処置はなされておらず、そこでのシンセは殆どピアノのサンプリング程度の、違和感のないものに変わっていたのです。そんな小細工を労することもないほど、この演奏ではそれぞれのパートの役割がきちんと分かるような、もしかしたら「歌って」いるほどの存在感を与えられるものであることが、おそらくその理由なのでしょう。たぶん、きちんと指揮者を立てたせいなのでしょう、ここでも「表情」に関しては昔日の録音をはるかに超えるものが感じられます。
もう一つの収録曲「エイト・ラインズ」は、2つの弦楽四重奏、ピアノ、フルート、クラリネット、ビブラフォン、マリンバがそれぞれ2人ずつという、総勢18人の大アンサンブルです。ここでも、「冷たさ」や「機械的」といった概念とは全く無縁のいかにも人間が呼吸をしている感覚を味わうことが出来ます。中でも、ピッコロを持ち替えているフルート奏者の息づかいには、今までのライヒ作品の中で聴いてきたこの楽器のイメージとは全く異なる暖かさを感じ取ることが出来るはずです。きっと炊きたてだったのでしょう(それは「ライス」)。
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by jurassic_oyaji | 2007-12-20 20:14 | 現代音楽 | Comments(0)